ប្រាសាទកោះកេរ

( コー・ケー )

コー・ケー(Koh Ker、クメール語: កោះកេរ)は、カンボジアのプリアヴィヒア州にある考古遺跡群。アンコール朝期に建てられ、一時的に首都とされた。当時の古クメール語による名称はチョック・ガルギャー。サンスクリット語の名称はリンガプラ。2023年にユネスコ (UNESCO) の世界遺産に登録された。

 ジャヤーヴァルマン4世(英語版)(王の形象)坐像(高さ1.33m、プラサット・トム第2塔門より)ギメ東洋美術館[1]

アンコール地域に王都ヤショーダラプラ(英語版)を造営したヤショーヴァルマン1世(在位889-910年[2][3])が亡くなると[4]、息子のハルシャヴァルマン1世(英語版)(在位910-923年[2]〈922年頃[5]〉[6])とその弟のイーシャーナヴァルマン2世(英語版)(在位923〈922年頃[5]〉-928年[2][6])が継承した。しかし921年には、おじでヤショーヴァルマン1世の義兄弟(妹の夫)のジャヤーヴァルマン4世(英語版)が[5][7]、コー・ケーに新都チョック・ガルギャーを造営して統治した[8]。921年の碑文によれば、ジャヤーヴァルマン4世はヤショーダラプラの都城を出て、チョック・ガルギヤーを統治する際にデーヴァラージャ[9]「神王のリンガ[注 1]」を移したといわれる[5]。そして一時政権は競合したが、イーシャーナヴァルマン2世が死去したことで、ジャヤーヴァルマン4世は正統な王位に就いた[11]。

コー・ケー地域はジャヤーヴァルマン4世の出身地であったともいわれ[12]、また、都市の存在はより時代をさかのぼるとも考えられるが、一般にジャヤーヴァルマン4世の治世の20年余りのうちに造成され[13]、数多くの寺院や祠堂が絶大な勢力のもとに建設されたといわれる。そして921年に神王(王のリンガ)である「トリブヴァネシュヴァラ」(Tribhuvaneśvara、三界の主[注 2])がコー・ケーの新都に創設され、碑文に「三界の主の強力な本拠である都城を富裕の力で構築した」と記される[15]。

941年頃、ジャヤーヴァルマン4世の死後、息子のハルシャヴァルマン2世が王位に就いた。碑文には1人の友とその両親の助力によって王座を得たと記され、友人とは従兄弟(母親の姉妹の子)のラージェンドラヴァルマン2世(英語版)であろうといわれるが、即位後間もない944年に、ラージェンドラヴァルマン2世が王座を奪ったとされる[16]。碑文はその王位の獲得を正当化するように、年齢にしても美徳の数からしても、新王は前王を凌いだとしている[17]。そしてラージェンドラヴァルマン2世が新王となると、再び旧王都ヤショーダラプラのアンコール地域に都を移した[8][16]。

短期の王都であったコー・ケーには未完の遺構が見られるほか、944年以降のものとしてはウダヤーディティヤヴァルマン1世(英語版)(在位1001-1002年)の碑文[18]、それにジャヤーヴァルマン7世(在位1181-1218年〈1220年〉頃[19])が全国102か所に設置したという[注 3]「施療院」(アーロギャーシャーラ[21][22]、ārogyaśāla[23])の1つ(プラサット・スララウ)が確認されている[24]。その仏教徒のジャヤーヴァルマン7世の台頭によりシヴァ信仰が衰退した後、15世紀にクメール王朝が減退し、アンコールより南のプノンペンに首都が移ると、コー・ケーは忘れ去られて森林に埋もれた[14]。

近代

コー・ケー再発見における最初の記載は、19世紀後半、フランス植民地(フランス保護領カンボジア)時代の1873年にカンボジアを再訪・調査したルイ・ドラポルト(フランス語版)の『カンボジア紀行: クメール建築』(1880年)[25][26]に記された報告[27]が初出となる。次いでこの調査隊に参加した海軍医ジュール・アルマン(フランス語版)が、1876年、コー・ケーを再度訪れた報告があり、その際発見された碑文は、後にアベル・ベルゲーニュ(フランス語版)により解読された。加えて1882年にはエティエンヌ・エイモニエ(フランス語版)が訪れ、プラサット・トム、プラサット・クラチャップ、プラサット・チェンで発見した碑文の解読により、遺構の地理的考察とともに初めてジャヤーヴァルマン4世の遷都に関わる歴史について言及した[12]。1900年にはフランス極東学院のリュネ・ド・ラジョンキエール(フランス語版)が探査し[28]、『カンボジア遺跡記述目録』(全3巻、1902-1911年)に19基の遺構が記載された[12][29]。

その後、コー・ケーは1923年に北東地域の遺構に着目したジョルジュ・グロリエ(フランス語版)により調査された。翌1924年には、アンリ・パルマンティエ(フランス語版)が訪れ[28]、以来、1935年に空中調査(航空考古学(英語版))が行われるなど[30]、パルマンティエによるコー・ケーの詳細な研究がなされていった[31][32]。そして北東地域の遺跡を考察した『クメール古典芸術』(1939年)に[33]、コー・ケー遺跡群43基を含む詳細な情報が記載された。また、パルマンティエは北東地域の建築群を、木造の切妻屋根が石造に変換する過渡期の「混合建築」とした。これを美術的観点から、ジルベルト・ド・コーラル=レミュザ(フランス語版)が『クメール美術』(1940年)[34]において「コー・ケー様式」の分類に同様の要素を挙げ、1954年には、双方の整合を示す切妻破風(ペディメント)が確認されている[35]。

現代

クメール・ルージュのポル・ポト政権(1975-1979年)による恐怖政治以降、1991年に至る長期紛争を経て[36]、1992年よりカンボジア地雷処理センター (CMAC[37]) によるカンボジアの地雷(英語版)・不発弾の撤去作業が開始された[38]。コー・ケーにおいても21世紀にわたり地雷の除去が進められた[39]。

カンボジア内戦に伴う1960年代後半から1990年代後半のうちにコー・ケーは略奪に見舞われ[40]、貴重な遺物が密売・密輸された[41][42]。その後、1996年1月25日の文化遺産保護法[43]により厳重に保護されるようになり、2004年には勅令により特別保護地区に制定され、2020年にさらなる保全対策の策定により改訂された[40]。そして2023年9月17日、国際連合教育科学文化機関(ユネスコ、UNESCO)の世界遺産(文化遺産)に登録された[44][45]。その間、2022年7月から2023年6月にかけての支援事業の一環として、世界遺産と緩衝地帯内の地雷除去作業が行われた[46]。

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