タタールスタン共和国
のコンテキスト タタールスタン共和国
- タタールスタン共和国
- タタール語: Татарстан Республикасы
ロシア語: Республика Татарстан
タタールスタン共和国(タタールスタンきょうわこく、タタルスタンとも、タタール語: Татарстан Республикасы、ロシア語: Республика Татарстан)は、ロシア連邦地域管轄区分のひとつ沿ヴォルガ連邦管区の中央に位置する共和国である。公用語はロシア語とタタール語。1992年には主権宣言を行った。
詳細について タタールスタン共和国
- 人口 3894120
- 領域 67847
- 詳細は「タタールスタンの歴史」を参照
古くはフィン・ウゴル系のアナニノ文化(紀元前8世紀-紀元前3世紀)があったことで知られる。紀元前4世紀頃からインド・ヨーロッパ語族を話すスキタイ系のİmänkiskä cultureとなった。
ブルガール・カガン国があったが、モンゴルのヴォルガ・ブルガール侵攻でモンゴル帝国に滅ぼされ、ジョチ・ウルスに編入された。ジョチ・ウルスが分裂するとカザン・ハン国として独立したが、1552年のカザン包囲戦で滅亡し、ロシア帝国に併合され、1708年からカザン県となった。
ロシア内戦中にはイデル=ウラル国として一時独立した。
ミールサイト・スルタンガリエフの後押しでソ連時代に自治共和国(タタール自治ソビエト社会主義共和国)として創設される。
1990年8月、主権宣言し、共和国への昇格を宣言した。初の大統領選挙でミンチメル・シャイミーエフは勝利する。ソ連が崩壊してCIS(独立国家共同体)が成立すると加盟する意思を宣言したが実現しなかった。ロシア連邦は1992年3月末に、国内の共和国や州などと権限分割条約(連邦条約)を結んだが、この直前にタタールスタンは国民投票を行い、ロシアと対等な関係であると決め、条約への参加を拒否した。この後もロシアとの紆余曲折があったが、1994年2月、権限分割条約が結ばれた。
2023年2月6日、新憲法の施行により元首格の役職名が大統領から首長(ライス)に変更された[1]。2015年以降、ロシアの共和国で「大統領」を名乗っていたのはタタールスタンのみであった。
^ “Должность Рустама Минниханова теперь официально называется «раис Татарстана»”. FederalPress (2023年2月6日). 2023年2月7日閲覧。