のコンテキスト アンダルシア州

アンダルシア州Andalucía)は、スペインを構成する自治州の一つである。スペイン南部に位置し、北はエストレマドゥーラ州とカスティーリャ=ラ・マンチャ州、東はムルシア州、そして西はポルトガルと接し、南は地中海・ジブラルタル海峡・大西洋がある。州都はセビリア。自治州政府はフンタ・デ・アンダルシーア(Junta de Andalucía)。近年はアンダルシーアという表記も見られる。アンダルシア最高裁判所はグラナダにある。

気候は典型的な地中海性気候で、夏は日差しが強く暑い。雨はあまり降らない。

詳細について アンダルシア州

基本情報
  • 母国語表記 Andalucía
Population, Area & Driving side
  • 人口 8472407
  • 領域 87268
履歴
  • グアダルキビール川の河口にあった都市タルテッソスは、紀元前1000年にまでさかのぼる。この都市は強大なタルテッソス文明を築き、聖書では「タルシシュ(Tarshish)」の名前で知られている。

    紀元前5世紀にはカルタゴの植民都市が建設され、紀元前2世紀に古代ローマに支配されて属州ヒスパニア・バエティカが置かれた。

    5世紀になると一時期ゲルマン系のヴァンダル族がこの地を支配し、「Vandalicia(ヴァンダル人の国)」が「アンダルシア」の語源となった[1]。しかし近年の研究ではアトランティス大陸を示す「アル・アトランティダ」が語源なのでは無いかという説も有力である。[2]

    西ゴート王国による支配[3]のあと、711年にウマイヤ朝に征服され、アラビア語でアル=アンダルスと呼ばれるようになった。後ウマイヤ朝が都を置いたコルドバは、西方イスラムの経済文化の中心地として繁栄した。アンダルシアの文化は、8世紀にわたるイスラム支配の影響を色濃く残している。

    13世紀にはレコンキスタによってキリスト教諸国による征服が進み、グラナダを都とするナスル朝だけが最後のイスラム王朝として200年間生き残った。1492年にはグラナダが陥落し、スペイン王国に統一された。

    16世紀から17世紀にかけて、セビリアはアメリカ州にあるスペインの植民地への出発地となったため、現在中南米で話されているスペイン語にはアンダルシーア方言と共通の特徴が多くみられる。

    アンダルシアは先史時代からローマ時代、イスラム時代を通じてイベリア半島の先進地域であった。しかし、レコンキスタの過程で大土地所有制が広がり、新大陸との貿易で繁栄したセビリアを除き、スペインでも貧しい地方の一つとなった。20世紀の自治州成立後は、観光業の発展とともに、政府やEUからの援助金、高速鉄道AVEの開業、セビリア万博の開催などによりてこ入れが図られている[1]。

    2021年9月13日、一帯に集中豪雨があり鉄砲水や河川の氾濫が発生。住宅地や道路などが冠水する被害が生じた[4]。

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    グアダルキビール川の河口にあった都市タルテッソスは、紀元前1000年にまでさかのぼる。この都市は強大なタルテッソス文明を築き、聖書では「タルシシュ(Tarshish)」の名前で知られている。

    紀元前5世紀にはカルタゴの植民都市が建設され、紀元前2世紀に古代ローマに支配されて属州ヒスパニア・バエティカが置かれた。

    5世紀になると一時期ゲルマン系のヴァンダル族がこの地を支配し、「Vandalicia(ヴァンダル人の国)」が「アンダルシア」の語源となった[1]。しかし近年の研究ではアトランティス大陸を示す「アル・アトランティダ」が語源なのでは無いかという説も有力である。[2]

    西ゴート王国による支配[3]のあと、711年にウマイヤ朝に征服され、アラビア語でアル=アンダルスと呼ばれるようになった。後ウマイヤ朝が都を置いたコルドバは、西方イスラムの経済文化の中心地として繁栄した。アンダルシアの文化は、8世紀にわたるイスラム支配の影響を色濃く残している。

    13世紀にはレコンキスタによってキリスト教諸国による征服が進み、グラナダを都とするナスル朝だけが最後のイスラム王朝として200年間生き残った。1492年にはグラナダが陥落し、スペイン王国に統一された。

    16世紀から17世紀にかけて、セビリアはアメリカ州にあるスペインの植民地への出発地となったため、現在中南米で話されているスペイン語にはアンダルシーア方言と共通の特徴が多くみられる。

    アンダルシアは先史時代からローマ時代、イスラム時代を通じてイベリア半島の先進地域であった。しかし、レコンキスタの過程で大土地所有制が広がり、新大陸との貿易で繁栄したセビリアを除き、スペインでも貧しい地方の一つとなった。20世紀の自治州成立後は、観光業の発展とともに、政府やEUからの援助金、高速鉄道AVEの開業、セビリア万博の開催などによりてこ入れが図られている[1]。

    2021年9月13日、一帯に集中豪雨があり鉄砲水や河川の氾濫が発生。住宅地や道路などが冠水する被害が生じた[4]。

    ^ a b 前掲『スペイン・ポルトガルを知る事典』、26頁 ^ 立石 博高 (編著)、塩見 千加子 (編著) (2012). アンダルシアを知るための53章 (エリア・スタディーズ). 明石書店  ^ 但し、550年代から620年代の約70年間、東ローマ帝国による再支配を受けたことがある(スパニア属州)。アギラ1世とアタナギルドの間で生じた内乱の隙を突いてユスティニアヌス1世が征服。アタナギルドの跡を継いだレオヴィギルドはスパニア属州の領土の一つで東ローマ帝国が占領し最大の拠点となっていたコルドバを572年に奪ったが、次代レカレド1世の治世中に東ローマ帝国によって幾つかの都市が奪還された(コルドバは奪還していない)。その後暫くは史料が途絶えるが、レカレド1世の2代後の王ウィテリック、その次代グンデマルも東ローマ帝国と交戦している記録が見られる。レカレド1世の娘婿シセブト王(後妻がレカレド1世の娘、後妻との間にレカレド2世がいる)がカルタゴ・ノヴァを奪って町を破壊、最終的にヘラクレイオス1世が東ローマ・サーサーン戦争(602年 - 628年)やバルカン半島でのスラヴ人との戦いに忙殺されていたことでスパニア属州に援軍を送ることができなかったと思われ、シセブト王の息子レカレド2世を挟んでシセブト王の娘婿(シセブトと前妻の娘テオドラが妻)であるスウィンティラ王(レカレド1世の息子の一人)の時代にイベリア半島の統一がなった。なお、スパニア属州の始まりは551年、552年、554年など意見が分かれており、属州征服の年も621年、624年、625年、628年、629年、634年以降など諸説あって、スパニア属州に関する史料の少なさにより確定出来ていない。 ^ “スペイン南東部で記録的豪雨、5人死亡”. AFP (2021年9月14日). 2021年10月23日閲覧。
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