Mezquita-catedral de Córdoba

( メスキータ )

メスキータ(mezquita)は、スペイン語でモスクを意味し、アラビア語 مسجد("Masjid")に由来する。しかし、一般的には固有名詞としてスペイン・アンダルシア州コルドバにあるカトリック教会の司教座聖堂「コルドバの聖マリア大聖堂(スペイン語: Catedral de Santa María de Córdoba)」を指す場合が多い。本項は、この聖マリア大聖堂について解説する。

メスキータ (Mezquita) は、スペインに現存する唯一の大モスク建築であるが、現在はカトリック大聖堂である。

 メスキータの拡張の変遷

イベリア半島は711年にイスラーム勢力に支配された。アブド・アッラフマーン1世はコルドバを都に定め、785年から786年の間にモスクの建築を命じ、1年後に完成した。当初は12本の柱から成る10の柱列を持ち、柱列の間にある11の通路は中心の1つがほかの通路より広く設計された。以降、ヒシャーム1世の治世にはミナレットが、アブド・アッラフマーン2世の治世にマッカの方向に柱列が8本伸びた。10世紀に入るとヒシャーム1世が建てたミナレットが崩壊し、アブド・アッラフマーン3世が現在まで残っているミナレットを再建した。次いでハカム2世の治世である961年にさらに12本の柱が柱列に加えらえ、この時点で礼拝堂は中庭よりも広くなった。また、中庭の回廊はこの時期までには完成したとされている。最後の増築工事はヒシャーム2世の宰相であるアル・マンスール・イブン・アビ・アーミルによって987年から行われ、これまでの増築は主にマッカの方向に行われていたのに対し、逆方向への増築がなされた。これによって柱列が7列増えて中庭が広げられ、モスクはサーマッラーの2つのモスクに次いで世界で3番目に大きいモスクとなった。すでにイスラーム勢力がイベリア半島から排除され、モスクはキリスト教の聖堂に変わっていた16世紀、アブド・アッラフマーン3世が再建したミナレットが嵐によって大きな損傷を受けたため、上部にルネサンス様式が付け加えられる形で修復された[1]。

年表 6世紀から7世紀 - 西ゴート王国の聖ビセンテ教会の地であった。 711年 - 後ウマイヤ朝の西ゴート王国征服成る。教会の半分をモスクとする。 784年 - コルドバの初代アミール、アブド・アッラフマーン1世の命により、コルドバ教会の所有部分を買い取り、王宮に隣接するモスクとして建設工事がスタート。妃の名をとってAljama Mosqueと名付けた。(第1次建設部分) アブド・アッラフマーン3世(889年 - 961年)がミナレット(塔)の建設を命ずる。 961年 - ハカム2世の命により、拡張工事が実施され、ミフラーブも拡張される。 987年 - アル・マンスール・イブン・アビ・アーミルにより拡張工事、現在のメスキータの形となる。 1236年 - カスティーリャ王フェルナンド3世の軍によりコルドバ征服。モスクはカトリックの教会に転用される。 カルロス1世(1500年 - 1588年)により、メスキータ中心部に身廊が増築される。^ 羽田, p. 93-97.
写真提供者:
Julià Minguillón - CC BY 3.0
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