渋谷区

渋谷区(しぶやく)は、東京都の区部西部に位置する特別区。

前史 渋谷区の誕生

渋谷区は1932年(昭和7年)に設置された。同年、それまで15区で構成されていた東京市に隣接する5郡82町村が編入され、豊多摩郡に属していた渋谷町・千駄ヶ谷町・代々幡町の3町をもって東京市渋谷区が成立したのが始まりである[注釈 1]。

渋谷区の成立には一悶着があり、必ずしも当時の住民の満足できる結果とはならなかった。渋谷町とともに渋谷区の一部となることになった千駄ケ谷町・代々幡町が、渋谷区になることに消極的であったからである。千駄ケ谷町は昔から四谷区や赤坂区との関係が深く、町域が都心に近かったこともあり、当時「郊外」のイメージが強かった渋谷町と一緒になることには消極的であった[1]。代々幡町も古来より新宿との結びつきが強かったため、新宿に近い淀橋町などと一緒の区を形成することを模索しており、渋谷町と一緒になることには反対の姿勢だった[2]。

しかし、東京市編入の際には同じ郡に所属する町村同士で1つの区を形成するというルールがあったため、豊多摩郡の南端にあり互いに隣り合う渋谷町・千駄ケ谷町・代々幡町が合わさって一つの区を形成することは避けられず、千駄ケ谷町・代々幡町も渋谷町と一緒になることを渋々受け入れた[注釈 2]。

その後、区の名称を決める際にも、千駄ケ谷町や代々幡町は明治神宮の所在地として全国的に有名だった代々木を採用し「代々木区」とすることを提案したが、渋谷町は「渋谷区」で譲らず3町の間で争いが起きた。妥協策として「宮区」(渋・千駄ヶ・幡ヶの3つの谷、すなわち「三谷(みや)」と代々木にある明治神の「宮」をかけたもの)とする案も出たという[2]。最終的には東京府議会と関係の深い渋谷町議会議員にの圧力で新区名が強引に「渋谷区」とされることになったが、このような経緯は千駄ケ谷町・代々幡町の住民に怨念を残すことになり、千駄ケ谷町では大規模な反対運動も起こった[1]。

渋谷町が他の2町に敬遠されたのは、当時の渋谷がまだ未発達だったことが一番の原因である[2]。後に東京を代表する繁華街として成長し、1970年代以降は若者文化の街として君臨する渋谷だが、昔から交通の要衝として栄え東京を代表する繁華街になっていた新宿と比べ、当時の渋谷はまだ発展途上であり、いまだ「郊外」のイメージがつきまとっていた。

渋谷区成立後 1930年代 - 1940年代 1932年(昭和7年) 10月1日 - 豊多摩郡渋谷町、千駄ヶ谷町、代々幡町が東京市に編入、左記3町の区域をもって渋谷区誕生。 3月31日 - 東横線渋谷 - 桜木町間全線開業。 1933年(昭和8年)8月1日 - 帝都電鉄線渋谷 - 井の頭公園間開業。翌年吉祥寺まで全線開業。 1934年(昭和9年) 4月21日 - 渋谷駅前にハチ公の銅像建立(初代)[3]。 11月1日 - 渋谷駅に東横百貨店(現:東急百貨店東横店)開業。関東では初のターミナル・デパート。 1935年(昭和10年)3月8日 - 犬フィラリア症により、ハチ公が渋谷川の稲荷橋付近の路地で死去[3]。 1936年(昭和11年)12月 - 神宮通一丁目(後の電力館付近)に区役所庁舎が完成。 1938年(昭和13年)12月20日 - 東京高速鉄道(現:東京メトロ銀座線)の渋谷駅が東横百貨店3階に開業。 1939年(昭和14年)1月 - 箱根土地が徳川山(西原)の分譲を開始。 1943年(昭和18年)7月1日 - 東京府・東京市が都政施行。 1945年(昭和20年) - 陸軍代々木練兵場がGHQに接収され、ワシントンハイツとなる。 1946年(昭和21年)7月19日 - 在日華僑グループと警官隊が衝突(渋谷事件)[4]。 1948年(昭和23年)8月15日 - 渋谷駅前にハチ公の銅像復活(二代目・現存)[3]。1950年代 - 1960年代  渋谷駅(1950年代) 渋谷区(1952年)1950年(昭和25年)6月 - 国土計画興業が徳川山南(大山町)に分譲を開始。 1956年(昭和31年)12月1日 - 渋谷駅東口に東急文化会館開館。 1957年(昭和32年)12月1日 - 渋谷地下街(現・しぶちか)開業。 1958年(昭和33年) 10月 - 丸井渋谷店開店。 原宿セントラルアパート完成( - 1986年)。 1961年(昭和36年) 7月30日 - リキスポーツパレス完成。 10月 - 1964年に開催される東京オリンピック会場・選手村建設地としてワシントンハイツの返還が決定。 1962年(昭和37年) 5月10日 - 「住居表示に関する法律」による町名改正・街区番号整理。 1963年(昭和38年)3月27日 渋谷区長選任贈収賄事件の刑事訴訟で、最高裁判所大法廷は特別区において区長公選制を認めないことが憲法93条2項に反しないと判断。 1964年(昭和39年) ワシントンハイツ跡地に、渋谷区総合庁舎・渋谷公会堂・国立代々木競技場完成。 渋谷川の明治通り交差部(旧宮下橋)から上流部の暗渠化・下水道化工事が完成。 宮下公園を人工地盤上公園に改築、地平部は駐車場とする。 1965年(昭和40年) 4月5日 - 渋谷区役所が現在地に移転・開業。 東京オリンピック選手村跡地の一部が国立オリンピック記念青少年総合センターとして発足、また同年、同じく選手村跡地のNHK放送センターが第1期運用を開始(完全移転は1973年7月31日)。 日本初の億ションであるマンションのコープ・オリンピアが原宿(神宮前)に完成。 6月13日 - 渋谷東急ビル開業(現・渋谷東急プラザ)。 1967年(昭和42年) 4月19日 - 映画館(渋谷松竹・渋谷国際)などの跡地に西武百貨店A・B館開店。 10月20日 - 東京オリンピック選手村跡地に代々木公園開園。 11月1日 - 旧大向小学校跡地に東急百貨店本店開店。渋谷の商業地域の拡大が始まる。 12月10日 - 都電中目黒線(渋谷橋 - 恵比寿駅前 - 中目黒)、6系統(渋谷駅前- 新橋)、8系統(中目黒 - 築地)廃止[5]。 1968年(昭和43年)9月29日 - 都電青山線(渋谷駅前 - 青山1丁目)、9系統(渋谷駅前- 新佃島)、10系統(渋谷駅前 - 須田町)廃止[5]。 1969年(昭和44年) 5月11日 - 東急玉川線(渋谷 - 二子玉川)など廃止。 10月26日 - 都電天現寺橋線(渋谷駅前 - 天現寺橋)、34系統(渋谷駅前 - 金杉橋)廃止[5]。渋谷区内の路面電車はすべて廃止になる。1970年代 - 1980年代

1970年ごろまでは、若者の街、若者文化の流行の発信地といえば、何といっても新宿だった。しかし、1970年代になると、それが新宿から渋谷へと移動する動きが始まり、若者文化の歴史は大きく変わっていった(渋谷系#誕生の背景も参照)。この影響で渋谷だけではなく、渋谷区の中にある原宿を含めた渋谷区全体に大きな変化が訪れることになる。その流れは「新宿から渋谷、または原宿を含めた渋谷区全体へ」(つまり原宿、表参道、代官山、裏原宿方面も)と移り変わっていく。1973年には象徴的な出来事として渋谷PARCOの開店があった。

1970年(昭和45年) 10月1日 - 渋谷駅西口駅ビル竣工(3階 - 8階:東急百貨店東横店南館)。 1971年(昭和46年) 現在の公園通りの入り口に丸井ファッション館(現・マルイジャム)開店。 11月14日 - 渋谷暴動事件。 1972年(昭和47年) 渋谷区役所通りが、パルコ開店を前に公園通りと命名される。 10月20日 - 営団地下鉄千代田線、霞ケ関 - 代々木公園間開業。 1973年(昭和48年) 6月14日 - パルコPART1開店。「西武劇場」(現・PARCO劇場)開設。公園通りの活性化により「ファッションの街」としてのイメージが定着する。 6月20日 - NHKホール完成(オリンピック選手村跡地がほぼ現在の形になる)。 1975年(昭和50年)12月 - パルコPART2開店。 1976年(昭和51年)4月7日 - 東急新玉川線、渋谷 - 二子玉川園開業。 1978年(昭和53年) 3月31日 - 営団地下鉄千代田線、代々木公園 - 代々木上原間開業、小田急線との直通運転開始。 8月1日 - 営団地下鉄半蔵門線、渋谷 - 青山一丁目間開業。東急新玉川線との直通運転開始。 9月9日 - 東急ハンズ(現・ハンズ)が井ノ頭通りに開業。 10月28日 - ラフォーレ原宿が開店。 11月1日 - 区歌「渋谷・愛の街」と区民音頭「渋谷音頭」を制定。 11月3日 - 第1回渋谷フェスティバルを開催(〜5日)。 1979年(昭和54年) - ファッションコミュニティ 109(現・SHIBUYA 109)開業。公園通り・井ノ頭通り・東急本店通り(現:文化村通り)周辺が商業中心として確立される。 1981年(昭和56年)9月 - パルコPART3開店。 1984年(昭和59年) - 丸井本館(現・マルイシティ)開店。 1985年(昭和60年)11月6日 - THE PRIME開店。 1986年(昭和61年) 3月21日 - 西武百貨店SEED館開店。 4月29日 - ONE-OH-NINE開店。 1987年(昭和62年) 10月30日 - 109-2開店。 11月 - 西武LOFT館開店。 1988年(昭和63年)6月 - クアトロ・バイ・パルコ(現・パルコクアトロ)オープン。 1989年(平成元年) 9月3日 - 複合文化施設「Bunkamura」開業。 東急本店通りが文化村通りに改称。1990年代 - 2000年代

1990年代には渋谷系ブームが起きた。

1998年(平成10年)3月 - 渋谷インフォスタワー完成。 1999年(平成11年) 12月 - 「Q-FRONT」開業。 12月 - 西武百貨店モヴィータ館(旧・SEED館)開店。 2000年(平成12年)4月7日 - 渋谷マークシティ開業。 2001年(平成13年)3月 - セルリアンタワー完成。 2002年(平成14年)10月 - パルコミュージアムオープン。 2006年(平成18年) - 表参道ヒルズ開業。渋谷公会堂が改装・指定管理者導入のうえ、通称命名権を売却し「渋谷C.C.Lemonホール」に(正式名称は変わらず)。 2008年(平成20年)6月14日 - 東京メトロ副都心線、池袋 - 渋谷間開業。2010年代 -

2010年代は大規模な再開発が続き渋谷の街は大きく生まれ変わり、外国人観光客も増加した一方、もはや「若者の街」では無いという声が聞かれるようになった[6][7]。

 2013年(平成25年)3月15日、東横線ホーム、東横線地下化による最終日2012年(平成24年)4月26日 - 渋谷ヒカリエ(商業施設)開業。 2013年(平成25年)3月15日 - 東急東横線が渋谷駅の地下化に伴い80年の歴史に幕を閉じた。 2015年(平成27年)3月31日 - 同性カップルを「結婚に相当する関係」と認める「パートナーシップ証明書」を発行するための全国で初めての区の条例が、区議会で可決・成立。同年4月1日より施行[8]。 2016年(平成28年)4月4日 - 新宿駅南口地区(甲州街道より南側の渋谷区内)に、鉄道駅と高速バス・タクシー乗降場を集約した交通ターミナル「バスタ新宿」が開業。 2017年(平成29年)5月17日 - 渋谷区と東京電力ホールディングスは、IoT技術を活用した見守りに関する社会実証実験を開始すると発表した。本サービスは6月より開始[9]。 2018年(平成30年)9月13日 - 渋谷ストリーム(商業施設)開業。 2019年(令和元年) 11月1日 - 渋谷スクランブルスクエア(東棟)開業。 12月5日 - 渋谷フクラス開業。過去の出来事 渋谷事件 1946年7月19日、東京・渋谷の渋谷警察署前で発生した抗争事件。警視庁渋谷警察署、暴力団の落合一家、武田組および愚連隊の万年東一一派の連合隊と、武装した在日台湾人グループとの間に発生。死者は事件当日警察官1人・在日台湾人2名(当日後含め7名)。重軽傷者は35名(警察官1名・在日台湾人34名)。渋谷暴動事件 1971年11月14日、東京・渋谷において発生した暴動事件。11月14日に沖縄県に行われた沖縄返還協定批准阻止のゼネラル・ストライキに呼応して行なわれた「沖縄返還協定批准阻止闘争」で、革命的共産主義者同盟全国委員会(中核派)の学生ら約400人が、渋谷で警戒中の機動隊や渋谷駅前派出所を火炎瓶などで襲撃。警察官1人殉職、警察官3名重傷。


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^ a b 「祝はぬ千駄ケ谷」、『読売新聞』、1932 年 10 月 2 日、夕刊、p.2 ^ a b c 幡ヶ谷郷土史 ^ a b c 散策マップ No.1 『渋谷駅から渋谷のルーツをたずねて』 渋谷区歴史散歩の会平成13年10月発行 ^ 日外アソシエーツ編集部編 編『日本災害史事典 1868-2009』日外アソシエーツ、2010年、66頁。ISBN 9784816922749。  ^ a b c 東京都交通局60年史 ^ 【レポート】今でも本当に渋谷は”若者のまち”か?|渋谷文化プロジェクト ^ 渋谷がもはや「若者の街」じゃなくなった深い理由 むしろ「若者が集う場所」はつねに変遷してきた | 街・住まい | 東洋経済オンライン ^ 「渋谷区同性カップル条例が成立 全国初、4月1日施行」朝日新聞、2015年3月31日 ^ 【速報】 渋谷区、東京電力と見守りサービスの社会実証実験を開始 - BCN RETAIL、2017/05/17 15:16配信、同月18日閲覧
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