Копривщица

( コプリフシティツァ )

コプリフシティツァ
Копривщица

コプリフシティツァ(ブルガリア語: Копрѝвщица / Koprivshtitsa[koˈprifʃtit͡sɐ])は、ブルガリア西部にある自治体、およびそれを中心とした基礎自治体である。ソフィア州に属する。その名前はイラクサを意味するブルガリア語の「коприва / kopriva」に由来する。スレドナ・ゴラ山脈の中、トポルニツァ川沿いに位置する。1876年の4月蜂起の中心となった町の一つであり、現在では歴史的なブルガリアの建造物が残され民族音楽祭が開催される観光地となっている。

コプリフシティツァは、19世紀のブルガリア民族復興期時代の特色をよく残した町である。町はソフィアの東111キロメートル程度に位置する山岳地帯の中にある。全部で383件ある建物のほとんどは、修復によりかつての姿を保っている。武器や民族復興期の芸術作品、工芸品、織物、刺繍、民族衣装、宝物など、当時のブルガリア人の民族誌学的な遺物も数多く保存さ...続きを読む

コプリフシティツァ
Копривщица

コプリフシティツァ(ブルガリア語: Копрѝвщица / Koprivshtitsa[koˈprifʃtit͡sɐ])は、ブルガリア西部にある自治体、およびそれを中心とした基礎自治体である。ソフィア州に属する。その名前はイラクサを意味するブルガリア語の「коприва / kopriva」に由来する。スレドナ・ゴラ山脈の中、トポルニツァ川沿いに位置する。1876年の4月蜂起の中心となった町の一つであり、現在では歴史的なブルガリアの建造物が残され民族音楽祭が開催される観光地となっている。

コプリフシティツァは、19世紀のブルガリア民族復興期時代の特色をよく残した町である。町はソフィアの東111キロメートル程度に位置する山岳地帯の中にある。全部で383件ある建物のほとんどは、修復によりかつての姿を保っている。武器や民族復興期の芸術作品、工芸品、織物、刺繍、民族衣装、宝物など、当時のブルガリア人の民族誌学的な遺物も数多く保存されている。また、1876年にオスマン帝国の支配に対する抵抗として始まった4月蜂起の、最初の引き金となった町である。

1965年以降、ブルガリア民族祭がほぼ毎年この地で開催されるようになり、多くの音楽家や工芸家などがブルガリア各地から集まる。民族祭では町を取り巻く牧歌的な丘陵地帯を背景に数多くのアーティストのパフォーマンスが繰り広げられる。コプリフシティツァの民族祭ではアマチュアの音楽家にとって注目を惹きつける数少ない機会であり、共産主義時代には数多くの民族音楽作品がこの地で収録され、バルカントンより発売されている。

2012年9月時点での居住者数は2405人であった。標高は1030メートルの丘陵地帯にある。

写真提供者:
Meteo91 - CC BY-SA 4.0
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