Рилски манастир

( リラ修道院 )

リラ修道院(リラしゅうどういん、ブルガリア語:Рилски манастир)は、ブルガリア最大で最も著名な正教会(ブルガリア正教会)の修道院。リラの聖ヨハネ修道院、またはリラの僧院とも称される。修道院はリラ山脈の北西、及び海抜1147メートルの高さにあるリラ川の深い低地にある、ブルガリアの首都ソフィアから117キロメートルに位置する。キュステンディル州リラ自治体にある。

10世紀に創設されたリラ修道院は、ブルガリアにおいて最も文化的、歴史的、建築学的に重要な遺跡の一つであると評価されている。こうした理由から、ブルガリアとヨーロッパ南東部において、観光客をひきつける要所となっている。

リラ修道院は1983年、ユネスコの世界遺産に登録された(ID216)。

 修道院内部

伝承からリラ修道院は、ブルガリア皇帝ペタル1世の統治する時代(927年-968年)に、リラの聖イオアン(イヴァン・リルスキ)が設立したと考えられている。彼は教育を受けるため山脈へやってくる彼の教え子達が修道院を建設していた間、実際にその修道院からそう遠くない洞窟で生活していた。

創設以来、リラの修道院はブルガリアの統治者から後援され、尊重されてきた。オスマン征服まで続いた第二次ブルガリア帝国のほぼ全てのツァールによって大規模な寄付が行われ、修道院は12世紀から14世紀にかけ、ブルガリア国民の意識の中で文化的・精神的中心の頂点を極めた。

リラ修道院は14世紀中に、フレリョ・ドラゴヴォラという名の地方封建王により、現在の位置に再建された。修道院内の複合建築物にはこの時代に建てられたものが現在も含まれており、フレリョの塔(1334年 - 1335年竣工)やその隣にある小さな教会(1343年竣工)などがあげられる。司教の椅子や豪華に彫刻された修道院の門も、この時代に属するものである。しかし、14世紀末のオスマン人が出現し、修道院への数々の襲撃や破壊が15世紀半ばに行われた。

だが、その後ロシア正教会、正確にはアトス山にあったロシコンの修道院による寄付のお陰で、15世紀末には聖ヨハネの遺品を持ってキュステンディル地域からやってきた、3人の兄弟によりリラ修道院は改築が施されたのである。

修道院内の複合建築物は、外国の統治下にあった時代におけるブルガリアの言葉や文化を所蔵する、保管所の役割を務めた。ブルガリア復興期(18世紀-19世紀)において修道院は、1833年に火事でいったん消失した[1]後、1834年から1862年の間にブルガリア全体から裕福な国民の援助を受けて、建築家アレクシ・リレツの指導の下に修復が行われた。住居となる建物の建設は1816年に始まり、1844年にはフレリョの塔に鐘楼が取り付けられた。また修道僧のネオフィト・リルスキはこの時期に修道院内へ学校を設立した。

ブルガリア復興期の建築物の最初の傑作の一つとみなされている修道院複合建築物は、1976年に国立史跡として表明され、1983年にユネスコの世界遺産へ登録された。1991年以来、修道院はブルガリア正教会の教会会議に付随している。

^ 『地球の歩き方 2017〜18 ブルガリア/ルーマニア』ダイヤモンド・ビッグ社、2017年、35頁。ISBN 978-4-478-06019-3。 
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