البحر الميت

( 死海 )

死海(しかい、アラビア語: الْبَحْرُ الْمَيِّتُ‎、ヘブライ語: יָם הַמֶּלַח‎、英語: dead sea)は、中東にある塩湖。西側はイスラエル、東側はヨルダンと接する。湖面の海抜は地表で最も低く、マイナス433m(2019年)である。歴史的に様々な名前で呼ばれたが、現在の名称「死海」はアラビア語名に由来する。

湖面の面積は605平方キロメートル(2016年)。1960年代の約1000平方キロメートルから大幅に縮小した(詳細は#湖面低下問題を参照)。

 マサダより死海を望む
J.フェラ画、1870年頃[1]

ヘブライ語では「ים המלח」(塩の海)と呼ばれ、『聖書』には「アラバの海」「東の海」などと記される。『ユダヤ戦記』によると、マカバイオスはマサダ要塞を死海の近くの断崖絶壁の山上に築いた。その後、ヘロデ大王はマサダ要塞を改修したが、73年にローマ軍の攻撃を受けて破壊された。このとき、クムラン洞窟に修道士たちが死海文書を保存していた話は特に有名である。

死海の航海の最古の記録は、1世紀から2世紀頃のタキトゥス[2]とヨセフスによるものがある。マダバの聖ジョージ教会にあるモザイク地図には、死海と死海で生産された塩を積んだ船が描かれている。十字軍の遠征が行われた頃、死海を航行する船に対して税が徴収された記録も残っている。

1848年に、アメリカ海軍のW・F・リンチ(W.F.Lynch)率いる探検隊がヨルダン川と死海をボートで探検した。この時に史上初めて死海の湖面の標高が測定され、死海が海抜マイナス400m以下の湖であることが判明した。

^ Louis Figuier著 Les merveilles de l'industrie Tome 1(1873年)より ^
この湖の周囲は広く、海の様相を呈す。水は海より塩辛い。〔中略〕魚も住まないし、水棲鳥類も生きられない。水面の動きは鈍く、湖面に投げ込まれたものを、地面のように支える。泳げる人も泳げない人も同じように浮く。
—タキトゥス、『同時代史』5.6(國原吉之助訳、筑摩書房、1996年)
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