المغطس

( アル=マグタス )

アル=マグタス(Al-Maghtas, アラビア語: المغطس‎)は、ヨルダンのバルカ県に残る考古遺跡で、アラビア語で「洗礼」を意味する。かつて洗礼者ヨハネが活動し、イエスの洗礼も行われたヨルダン川東岸の場所ベタニアと考えられており、遅くとも東ローマ帝国時代までには崇敬の対象となっていた場所である。2015年に洗礼の地「ヨルダン川の向こう側、ベタニア」(アル=マグタス)の名で、UNESCOの世界遺産リストに登録された(ID1446)。

『地球の歩き方』のように、ベサニーと英語読みしている文献もある。

ローマ支配以前の集落

考古学的調査で発見された遺物などから、紀元前3,500年頃の金石併用時代に、農耕者たちの小規模集団が最初の集落を築いたと結論付けられており、ヘレニズム時代にも集落の痕跡が見出される[1]。

ローマ帝国および東ローマ帝国

遺跡から出土している建造物群には、ユダヤ教、キリスト教それぞれの儀礼と結びついた建造物群も出土しており、 クムラン出土の第二神殿時代の水槽群に似たミクワーと、後のキリスト教徒の洗礼用の水槽という時代ごとに異なる用途で使われた遺構を含んでいる[2]。早ければ2、3世紀、遅くとも5、6世紀にはキリスト教建造物群がテル・アル=カラールに建てられ始めた[3]。

考古学的調査は、エリヤの丘と呼ばれるテル・アル=カラールが、預言者エリヤ昇天の地として崇敬されていたことを証明した。5世紀にはそれを記念してビザンティン様式の修道院が建てられた。考古学者たちはその修道院のモザイクの碑文を元にその修道院を「レトリオスの修道院」と呼ぶ[4][5]。

東ローマ皇帝アナスタシウス1世は、491年から518年の間にヨルダン川東岸に洗礼者ヨハネに献堂された最初の聖堂を建てたが、氾濫、地震、さらには大氾濫で3度建てられ3度壊された[1]。その3度目には、桟橋にあった礼拝堂も一緒に壊されている[1]

巡礼地も歴史と共に変遷した。東ローマ帝国期(一部はそれ以前の可能性もある)の考古学的出土品は、その時期の主たる巡礼地が東岸にあったことを示している。しかし、6世紀初めまでには、中心地がよりアクセスしやすい西岸に移った[6]。東ローマ帝国時代を通じて、この地は巡礼地として人気を博した。570年の巡礼者の記録でも、多くの人が洗礼を受けに来ていることが報告されている[7]。東岸、ことにワディ・アル=カラールでのそうした活動は、614年のサーサーン朝ペルシアによる破壊、河川の氾濫、地震、ムスリムの侵攻などによって終焉を迎えた。[8]

イスラーム初期

ムスリムの占領によって、東岸にあった東ローマ帝国期の建造物群は基本的にその役割を停止したが、いくつかの建物の遺構は、ムスリムの支配下にあってもその初期に使用され続けていた形跡がある。やがて、礼拝は川を挟んだ西岸のカスル・エル・ヤフド(Qasr el Yahud)で行われるようになり[9]、670年以降、洗礼遺跡の祝典も西岸で行われるようになった[8]。

マムルーク朝およびオスマン帝国期

建造物群は何度も再建されたが、15世紀末までに最終的に打ち棄てられた[4]。

13世紀には初期ビザンティン修道院の跡地の上に正教会の修道院が建てられたが[4]、その活動がどのくらい続いていたのかは未詳である。ただ、この地への巡礼は衰退しており、1484年のある巡礼者の記録では、すでに廃墟となっていたことが報告されている。15世紀から19世紀には、巡礼者が訪れることはほとんどなくなっていた。東ローマ帝国期の隠者であるエジプトの聖マリアに献堂された小さな礼拝堂が19世紀に建てられたが、これも1927年の地震(1927 Jericho earthquake)で崩れてしまった[10][11][12][13][14]。

20世紀初頭には、この地域のヨルダン川東岸地区には、農耕集落ができていた[1]。

1994年以降の再発見と観光  水の無い状態の洗礼遺跡

第三次中東戦争(六日戦争、1967年)の結果、ヨルダン川は停戦ラインとして両岸ともが軍事的に重要になり、巡礼者たちが立ち寄れなくなった。1982年以降、カスル・エル・ヤフドは立ち入り禁止のままだったが、イスラエルはそれより北方のヤルデニト(Yardenit)遺跡でのキリスト教徒の洗礼は許諾した[15]。1994年のヨルダンとイスラエル間の和平(Israel–Jordan peace treaty)に続き、宗教史に強い関心を抱いていたヨルダン王子ガーズィーがフランシスコ会士の考古学者に、何が洗礼遺跡となっているか実見すべきと説得されて一緒に訪れた後に、遺跡への接近が再開された。そして、ガーズィーらが古代ローマ時代の活動後を発見したことは、その後の進展を促すのに十分だった[14]。まもなくモハンマド・ワヘーブ(Dr. Mohammad Waheeb)に率いられた数度の発掘調査が行われ[16]、1997年の調査では古代遺跡を再発見した[17]。1990年代は発掘調査が行われていた時期であり、21世紀初頭からは元の状態の保存や復元の処置が講じられるようになった[4]。2002年には、ヨルダン当局は遺跡を全面公開した。イスラエルが支配する西岸のカスル・エル・ヤフドも、(1985年以降、軍の監視下でなら、ローマ・カトリック、正教会それぞれの日取りに公現祭/神現祭を祝うことだけは認められていたが)2011年には観光客向けに公開された[9][18]。2007年にはこの遺跡を題材として、『イエス・キリストの洗礼 - 「ヨルダン川の向こう側、ベタニア」の発掘』(The Baptism of Jesus Christ – Uncovering Bethany Beyond the Jordan)と題するドキュメンタリー作品が制作された[19][20][20]。

ただ、多くの観光客をひきつけてきたのはヨルダン側よりもイスラエルが支配する西側の方で、その差は50万人と数万人とも[9]、30万人と10万人とも言われている[10][21]。BBCはイスラエル側のヤルデニトには、年間40万人以上が訪れているとした[15]。イスラエルとヨルダンは洗礼者ヨハネの活動場所について争ってきたが、その背景として『フィナンシャル・タイムズ ドイツ版』は観光客獲得競争を指摘している[22]。

 遺跡を訪れるウラジーミル・プーチン(www.kremlin.ru, 2012年)

ミレニアムが祝われた2000年には、ヨハネ・パウロ2世がローマ教皇として初めてアル=マグタスを訪れた[23]。それに続き、教皇庁の関係者や国賓級の訪問者らが訪れた[16]。2002年には遺跡の発見後初めて、キリスト教徒たちによってイエスの洗礼を祝った。それ以降毎年、数千人のキリスト教巡礼者が訪れ、「ヨルダン側の向こう側、ベタニア」でのイエスの公現を祝っている[17]。また、2002年以降は遺跡が観光客にも公開されているため、巡礼者だけでなく観光客も引きもきらずに訪れている。2015年には国際連合教育科学文化機関(UNESCO)の世界遺産リストにも登録された。ただし、対象となるのは東岸の遺跡地区だけであって、イスラエル側のカスル・エル・ヤフドは含まれない[10]。

ヨルダン側の洗礼遺跡は国王アブドゥッラー2世に任命された者たちで構成される独立した委員会、洗礼遺跡委員会(the Baptism Site Commission)によって管理されている[24]。

^ a b c d ICOMOS 2015, p. 50 ^ Lawrence, Jonathan David (2006-01-01). Washing in Water: Trajectories of Ritual Bathing in the Hebrew Bible and Second Temple Literature. Society of Biblical Literature. ISBN 9781589831995. https://books.google.com/books?id=8jGRdFVnP74C  ^ Rami G. Khouri (1999年). “Bethany beyond the Jordan: John the Baptist's settlement at "Bethany beyond the Jordan" sheds new light on baptism tradition in Jordan”. The American Schools of Oriental Research (ASOR). 2004年3月11日閲覧。 ^ a b c d 引用エラー: 無効な <ref> タグです。「Evaluation」という名前の注釈に対するテキストが指定されていません ^ 引用エラー: 無効な <ref> タグです。「UNESCO」という名前の注釈に対するテキストが指定されていません ^ Eugenio Alliata, OFM (1999年). “The Pilgrimage Route During Byzantine Period in Transjordan”. The Madaba Map Centenary. Jerusalem: Studium Biblicum Franciscanum – Jerusalem. p. 122. 2015年12月9日閲覧。 ^ 関谷 1981, p. 12 ^ a b Mohammad Waheeb: The Discovery of Bethany Beyond the Jordan River (Wadi Al- Kharrar) Dirasat Human and Social Sciences, Volume 35, No.1, 2008– 115 - ^ a b c The Associated Press (2015年7月13日). “No evidence, but UN says Jesus baptized on Jordan's side of river, not Israel's”. Times of Israel. http://www.timesofisrael.com/no-evidence-but-un-declares-jesus-baptised-on-jordan-side-of-river/ 2015年12月9日閲覧。  ^ a b c “UNESCO settles Jesus baptism site controversy, says Jordan”. ynet. 2015年12月9日閲覧。 ^ Mohammad Waheeb (July 2012). “The Discovery of Elijah's Hill and John's Site of the Baptism, East of the Jordan River from the Description of Pilgrims and Travellers”. Asian Social Science (Canadian Center of Science and Education) 8 (8): 206–207. http://ccsenet.org/journal/index.php/ass/article/view/18526 2016年1月11日閲覧。.  ^ Mohammad Waheeb. “Historical Background”. Bethany (the project website of the chief archaeologist at Al-Maghtas, Dr. Mohammad Waheeb). 2004年3月11日閲覧。 ^ [1] ^ a b Michele Piccirillo OFM (1999年). “Aenon Sapsaphas and Bethabara”. The Madaba Map Centenary 1897-1997. Jerusalem: Franciscan Printing Press. pp. 219–220. 2016年1月11日閲覧。 ^ a b “Baptism battles on River Jordan”. BBC. (2009年9月15日). http://news.bbc.co.uk/2/hi/middle_east/8250071.stm 2015年12月9日閲覧。  ^ a b 引用エラー: 無効な <ref> タグです。「JoTimes1」という名前の注釈に対するテキストが指定されていません ^ a b 引用エラー: 無効な <ref> タグです。「JoTimes2」という名前の注釈に対するテキストが指定されていません ^ Erhard Gorys (1996) (German). Heiliges Land Kunst-Reiseführer (Holy Land: A culture guide). Cologne: DuMont. p. 160. ISBN 3-7701-3860-0. https://www.google.com/?gfe_rd=cr&ei=E_aSVoqiC6WI8Qfn3Z7ADw&gws_rd=ssl#q=%221933+bauten+die+Franziskaner+s%C3%BCdlich%22 2016年1月11日閲覧。  ^ “Baptism of Jesus Christ film”. Ten Thousand Films. 2011年7月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年7月31日閲覧。 ^ a b “Watch: Where Jesus was baptized”. Catholic Sentinel Organization (2015年10月23日). 2015年11月30日閲覧。 ^ “World Heritage status confirms Jesus was not baptized in Israeli territory, Jordanian media reports say”. 2015年12月8日閲覧。 ^ 吉田 2012, p. 75 ^ “Bethany-beyond-the-Jordan Takes Centre Stage for Papal Visit”. Ammon News (Amman, Jordon). (2009年4月22日). http://en.ammonnews.net/article.aspx?articleno=1844#.VntSmJN97fY  ^ History and Info: About us, accessed 10 February 2016
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