アラゴン州
のコンテキスト アラゴン州
アラゴン州(アラゴンしゅう、スペイン語: Aragón, アラゴン語: Aragón, カタルーニャ語: Aragó)は、スペインを構成する自治州の一つである。ウエスカ県、サラゴサ県、テルエル県の3県からなる。スペイン北東部に位置し、北はフランス、東はカタルーニャ州、南はバレンシア州、西はカスティーリャ=ラ・マンチャ州、カスティーリャ・イ・レオン州、ラ・リオハ州、ナバーラ州と接している。州都はサラゴサ。
詳細について アラゴン州
- 人口 1326261
- 領域 47719
- 詳細は「アラゴン王国」を参照
8世紀にイスラム勢力がイベリア半島を征服すると、フランク王国はピレネー山中に多くの伯領からなるスペイン辺境領を置き、緩衝地帯とした。現在のアラゴン州に含まれる地域にはハカ(アラゴン)、ソブラルベ、リバゴルサの伯領があった。11世紀にナバーラ王サンチョ3世はカスティーリャからこの3伯領に至る大王国を築いたが、その死後に領土は分割され、1035年にラミロ1世を王とするアラゴン王国が成立し、ソブラルベとリバゴルサを併合した。
1137年、アラゴン女王ペトロニーラとバルセロナ伯ラモン・バランゲー4世の結婚によって、アラゴンとカタルーニャは同君連合となった。これ以降カタルーニャもまとめて「アラゴン王国」と呼ばれるが、2つの地域では法制度や議会は別のままであった。今日では「カタルーニャ・アラゴン連合王国」とも呼ばれる。連合王国は13世紀のハイメ1世の時代にバレアレス諸島とバレンシアを征服し、シチリア王国、ナポリ王国、サルデーニャも領有して地中海帝国を築いた。
アラゴン王国のフェルナンド2世とカスティーリャ王国のイサベル1世の結婚によって、1479年にカスティーリャ王国とアラゴン王国も同君連合となった。これにより「スペイン王国」が成立したとされるが、やはり法制度や議会は別のままで、歴代のスペイン王は称号を「カスティーリャ王、ガリシア王、アラゴン王、バルセロナ伯、……」のように名乗った。カタルーニャとアラゴンがカスティーリャの法制度に組み込まれ始めるのは、18世紀のスペイン継承戦争以降である。
1978年のスペイン新憲法成立後、1982年8月16日にアラゴンの自治憲章が発効し、かつてのアラゴン王国(カタルーニャを除く)の領域にアラゴン自治州が成立した。