アヌラーダプラ

アヌラーダプラ(シンハラ語: අනුරාධපුර、タミル語: அனுராதபுரம்、英語: Anuradhapura)は、スリランカ北中部州にある古都である。北中部州の州都であり、アヌラーダプラ県の県都でもある。1982年、ユネスコの世界遺産に登録された。

年代記の『マハーワンサ』(大史。6世紀初頭)や『チューラワンサ』(小史)によれば、紀元前5世紀から紀元11世紀に至る長い間、北部を根拠地としたシンハラ人を主とする王朝の王都として繁栄した。別の所に移されたこともあったが、短期間で元に戻っている。

スリー・マハー菩提樹と呼ばれている菩提樹があり、仏教徒の崇拝対象になっている[1]。『マハーワンサ』(第19章)によれば、インドのブッダガヤ(ブッダ・ガヤー)で正覚(悟り)を得たとされるゴータマ・シッダールタが座って瞑想していた金剛座の背後に繁る菩提樹から、アショーカ王の妹のサンガミッターが小枝を瓶に入れて当地にもたらしたとされる。スリーは敬称(聖なる)で、マハーは偉大な(または真の)、ボーディ(菩提)は目覚めたる者の意味である。仏教伝来の王都であったため、たくさんの遺跡が残っている。新しい町と古代の町に分けられて、遺跡群は保護されている。巨大なストゥーパ(仏塔)が散在し、半球状の構造をなし、石または煉瓦で作られている。

最大のストゥーパは、紀元前1世紀に作られたアバヤギリ・ダーガバ(英語版)で、現在でも74メートルの高さがあり、建築当時はその周囲に半球状の屋根を含む構造があり高さは100メートルあったと言われる。周囲には5000人の僧が生活した僧院があった。主な遺跡には、ベッサギリ寺院、イスルムニヤ寺院、ダクヌ仏塔、ミリサワティ仏塔、ルワンワリサーヤ仏塔、ジェーターワナ仏塔、トゥーパーラーマ仏塔、ランカーラーマ仏塔などがある。

仏教の伝来は、紀元前247年の6月満月の日とされ、アショーカ王の王子のマヒンダが当地を訪れ、王都の北東17キロのミヒンタレー(英語版)山で、デーワー・ナンピヤティッサ(英語版)王と出会い、王が仏教に帰依して精舎を寄進したことに始まるとされる。

灌漑用に人工の湖(ウェワ)が数多く作られ、高度な土木技術があったことがわかっている。水の統御に基づいて高い生産力の水田稲作農耕が発達し、国の経済的基盤を形成した。ドライ・ゾーンに位置するため、雨季は年1回であり、溜池灌漑はこの地に生きる人々にとって重要であった。中でもアブハヤ・ウェワ(英語版)は、1950年設立の世界的なNGO国際かんがい排水委員会が推進する「かんがい施設遺産」に登録された。技術的には南インドのタミル・ナードゥと共通しており、海を越えた交流が頻繁に行なわれていたと見られる。

アヌラーダプラは1017年に南インドのタミル系のチョーラ朝の侵入によって崩壊し、王都は南部のローハナに移ったが、その後、当地から90キロ南東のポロンナルワに王都が建設されて、ウィジャヤバーフ1世が1070年にチョーラ朝の勢力を駆逐し、再度、繁栄期を迎えた。

^ “アヌラーダプラ|スリランカ 世界遺産”. 阪急交通社. 2022-07026閲覧。
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