タヤサル(Tayasal)は、グアテマラ、ペテン県中央のペテン・イツァ湖にあったイツァ族の王国の首都。1697年3月にスペインに征服されるまで独立を保った。マヤ文明最後の都市とされ、同地の征服と共にマヤは完全に滅亡した。

タヤサル半島には形成期中期(紀元前750-250年)から現在まで連続して人が居住している。最盛期は古典期後期から終末期にかけて(550-950年)で、21000人から34000人の人口があった[1]。9世紀以降ペテン地方の都市は大部分が放棄されたが、完全に無人になったわけではなく、ペテン・イツァ湖やその周辺の湖の沿岸や島々には人が住みつづけた。

16世紀前半にスペイン人は北のユカタン半島と南の高地マヤを征服したが、中央低地内陸部のペテン地方はスペイン人の手が及ばず、マヤ人は独立を維持した。

タヤサルの王はチチェン・イッツァの出身で、マヤパンの衰亡に伴ってペテン・イツァ湖に移住したと自称していた[2]。

1525年、エルナン・コルテスはホンジュラス遠征の途上タヤサルを通過した。コルテスらの一行はカネク王に歓迎された[3][4]。これがタヤサルに関する西洋人の最初の記録である。

17世紀にはいると宣教師による布教が何度か試みられたが、成功しなかった[5]。

1695年、フランシスコ会のアンドレス・デ・アベンダーニョ・イ・ロヨラがやはりカネクという名の王に会って布教を試みたが、王は説得されなかった[3]。ユカタン総督のマルティン・デ・ウルスアはメリダからタヤサルまでの道を建設し、1697年3月13日、108人の兵士らはガレー船に乗って湖を渡り、タヤサルを軍事的に征服した[6]。

^ Chase(2001), p. 705. ^ Jones (2001) p.54 ^ a b Coe(1999), p. 182-185. ^ 八杉(1990), p. 14-16. ^ 八杉(1990), p. 12-17. ^ 八杉(1990), p. 18.
写真提供者:
Rafael Amado Deras - CC BY 2.0
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