湯の峰温泉

湯の峰温泉(ゆのみねおんせん)は、和歌山県田辺市本宮町(旧国紀伊国牟婁郡)湯の峰にある温泉。4世紀頃に熊野の国造、大阿刀足尼によって発見され、後に歴代上皇の熊野御幸によってその名を全国に知らしめた日本最古の湯で、古くから熊野詣の旅人達にとっての湯垢離と休息の場として知られていた。2004年には紀伊山地の霊場と参詣道の構成資産の一部として、温泉としては初の世界遺産にも登録されている。餓鬼阿弥の姿となり死の淵を彷徨う小栗判官が、照手姫の助けで湯に浸かって体を癒した「小栗判官と照手姫伝説」が残る。

4世紀ごろに熊野国造の大阿刀足尼によって発見され、後に歴代の上皇による熊野御幸によってその名が広く知られるようになった[1][2]。古より熊野詣の旅人達はここで湯垢離を行って身を清め、長旅の疲れを癒していたとされる[2][3][4]。この温泉には「一遍上人名号碑」或いは「爪書き岩」などと呼ばれる、時宗の開祖である一遍が経文を爪で刻み込んだと伝えられる岩が現在まで残っている[2][5]。また中世の説経節「小栗判官」においては、餓鬼阿弥の姿となってしまった小栗判官が、この温泉での湯治によって元の姿に戻ったという伝説も残されている[6][7][3]。

温泉の中心部には、天台宗の寺院である東光寺が位置している。東光寺の本尊は湯の峰温泉の源泉の周囲に湯の花が積もって薬師如来の形となったものであり[6][8]、その本尊の胸から温泉が噴出していたことから「湯の胸温泉」と呼ばれていたものが転じて「湯の峰温泉」の名になったとされている[6][8][9]。

湯の峰の評判は、平安時代後期の公卿・藤原宗忠の日記『中右記』や、鎌倉時代前期の公卿・広橋頼資日記『頼資卿記』など、熊野詣を行った中世の貴族たちの日記にも記されている。熊野御幸の時代にも、皇族や貴紳がこの地を訪れたが、それらはあくまで休養としてのものである。熊野詣との関連で、湯垢離(ゆごり)による潔斎の場としての地位を獲得するのは、熊野御幸の盛期を過ぎた14世紀頃からであると考えられており、室町時代に入ると旅の疲れを癒す意味もあって参拝前に入浴したという。この時期には、熊野の地で修行に励んだ一遍もこの地を訪れている。

しかし、近世には、西国三十三所の優越とともに、潔斎の場としての意義は薄れ、単なる湯治場としての性格が勝ってくるようになった。また、江戸時代に作成された温泉番付では、「本宮の湯」として勧進元に名を連ねている。名の由来となった湯峯薬師をまつる東光寺、熊野九十九王子のひとつ湯の峰王子が温泉街内に今もある。

1957年(昭和32年)9月27日には厚生省告示第310号により、熊野本宮温泉郷の一部として川湯温泉、渡瀬温泉とともに国民保養温泉地に指定された[10][11]。2004年(平成16年)7月7日には世界遺産にも認定された。

^ 引用エラー: 無効な <ref> タグです。「spa」という名前の注釈に対するテキストが指定されていません ^ a b c 湯の峰温泉 - 熊野本宮観光協会 2018年5月14日閲覧 ^ a b 引用エラー: 無効な <ref> タグです。「tb-y」という名前の注釈に対するテキストが指定されていません ^ 引用エラー: 無効な <ref> タグです。「adumaya33」という名前の注釈に対するテキストが指定されていません ^ 周辺の観光地 熊野本宮 湯の峰温泉 あづまや 2018年5月14日閲覧 ^ a b c 引用エラー: 無効な <ref> タグです。「yorimichi」という名前の注釈に対するテキストが指定されていません ^ 引用エラー: 無効な <ref> タグです。「traveljp」という名前の注釈に対するテキストが指定されていません ^ a b 引用エラー: 無効な <ref> タグです。「yukoyuko」という名前の注釈に対するテキストが指定されていません ^ 湯峰八日薬師祭 熊野本宮観光協会 2018年5月20日閲覧 ^ 湯の峰温泉(和歌山県) 団体旅行ナビ 2018年5月20日閲覧 ^ 湯の峰温泉つぼ湯 - 南紀・熊野日帰り温泉ガイド 2018年5月20日閲覧
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