メロエ(メロエ語:MedewiまたはBedewi、英:Meroë)は、紀元前6世紀から紀元後4世紀にかけてナイル川中流域、現在のスーダンの首都・ハルツームの北東に繁栄した黒人による文明、またはその中心となった都市。
紀元前4世紀後半のメロエ王国の女王 ピラミッド配置
詳細は「クシュ」を参照
クシュ王国
紀元前10世紀ごろから、現在のスーダンのナパタ(ゲベル・バルカル)周辺でエジプトの影響を受けたクシュ王国が繁栄していた。
メロエ王国紀元前7世紀に鉄器で武装したアッシリアのエサルハドンとアッシュールバニパルの侵攻をエジプト第25王朝のタハルカが受けて、クシュ王国まで落ち延びた。紀元前591年ごろ[1]、en:Aspelta王は、メロエに遷都した。クシュ王国がメロエに遷都して以降を「メロエ王国」と呼ぶ。鉱物資源や農産物に恵まれ、アビシニア(エチオピア)からインド洋へ通じる交易路の結節点として栄えた。アッシリアから導入した製鉄技術が高度に発達し、アフリカ大陸全土に広まった。ナイル川とアトバラ川の合流点に近いメロエは鉄鉱石や樹木が豊富で、クシュ人自らも製鉄を行いアフリカ黒人の歴史上最初の鉄器製造の中心地となった。
メロエには小型のピラミッドが数多く建造され、ヒエログリフをもとにしたとみられるメロエ文字が発明されるなど、クシュ王国同様エジプトの影響を色濃く受けていた。 エルガメネス(在前248~220)王の頃から最盛期を迎えた。
滅亡350年ごろ、アビシニア高原(エチオピア高原)に興ったアクスム王国の侵攻を受けて滅亡した。旧首都ナパタが滅ぼされた後王の唯一の居住地となった。都市の様子は今もメロエ遺跡として残存しており、堤防、宮殿、アメン神殿跡などが見られる。
^ 遷都した時期については、紀元前670年ごろとする説もある。
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