Rumeli Hisarı
( ルメリ・ヒサル )ルメリ・ヒサル(またはルメリ・ヒサール、トルコ語:Rumeli Hisarı)は、オスマン帝国のメフメト2世がコンスタンティノープル郊外(現在のイスタンブール)に造営した城塞。「ローマ人の土地(ルメリ)の要塞」という意味をもつ。建築者 Müslihiddinは当初、「海峡を切る者」という意味の Boğazkesen と呼んでいたが、boğaz は「海峡」という意味以外にもトルコ語で「喉」も意味している。
上面図
建設は1452年4月15日に始まり、1452年8月31日に完成という記録的な短期間で完成された。
多いときで400人のイェニチェリが駐留し、水際の Halil Pasha Tower に大砲が置かれた。税関として通行料を接収し、応じなかった船は撃沈された[1]。その役割も別の要塞にとってかわられ、重要性が低下した。
17世紀には、外国人捕虜用の刑務所として使用された。
イスタンブール地震 (1509年)で破壊されたが、すぐに修復された。1746年の火事で木造部分が燃えたが、すぐに修復された。19世紀に破棄された後、城内に住宅が作られた。
^ Silburn, P. A. B. (1912).
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