Ollantaytambo

( オリャンタイタンボ )

オリャンタイタンボ(西:Ollantaytambo)とは、インカ帝国の砦の遺跡である。1536年、マンコ・インカ・ユパンキがスペインに対し反乱を起こした際、立てこもったが、スペイン軍の攻撃の前にオリャンタイタンボは放棄された。

1536年5月、マンコ・インカ・ユパンキが決起、クスコ、リマなどは圧倒的多数のインカ軍に包囲されていた。しかし、8月、インカ軍は食料が不足しており、さらに作物の種まきをする必要があったため、クスコの包囲を解き、クスコ北方を流れるウルバンバ川近辺のオリャンタイタンボ砦に退却した。そのため、フランシスコ・ピサロの異母弟エルナンド・ピサロは砦を攻撃したが、守りが堅いため、失敗に終わりクスコへ退却したが、エルナンド・ピサロはチリより帰還したディエゴ・デ・アルマグロに捕らえられることとなった。これはピサロ派とアルマグロ派の諍いが発生していたためであるが、アルマグロはこの勢いでオリャンタイタンボ砦を攻撃した。マンコ・インカ・ユパンキは結局、スペイン軍の500名の大軍の前に戦わずして、ウルバンバ川下流のビルカバンバへ撤退した。

スペイン支配下となったオリャンタイタンボは太陽神殿などの全てがスペイン人によって略奪され、現在は当時の姿をとどめていない。

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