فاس

( フェズ )

フェズ(アラビア語: فاس‎、 Fez、 Fès)はアフリカ北西端、モロッコ王国北部の内陸都市。アラビア語では「ファース」「アル=ファース」。フェスとも表記される。

イドリース朝、マリーン朝などのモロッコに存在した過去のイスラム王朝の多くはフェズを首都に定めていた。首都が他の都市に移された時であっても、フェズはモロッコ人にとって特別な都市であり続けている。数世代前から町に住み続けているフェズの住民はファシ(ファーシー)と呼ばれ、彼らの間では独特の方言が話されている。ファシの間にも方言の差異があり、旧市街では北部方言、新市街では南部方言が話されている。

フェズはラバト、マラケシュ、メクネス、カサブランカといった都市と共にモロッコの観光資源となっている。複雑な構造の旧市街地は迷路にも例えられ、1981年にユネスコの世界遺産(文化遺産)に「フェズ旧市街」が登録された(ID170)。

建設初期 - ベルベル人による支配

フェズの起源は紀元前に遡ると言われることもあるが考古学的な根拠は無く、半ば伝説として扱われている[1]。紀元前40年ごろにはフェズから北西に50km離れた場所に建てられたローマ都市のヴォルビリスが繁栄しており、同時期のフェズには公衆浴場が存在していたと伝えられている[1]。

8世紀末にイドリース朝の創始者イドリース1世がフェズ川西岸に国家の首都となる町を建設し、イドリース1世の跡を継いだイドリース2世はフェズ川東岸に新たな町を建設した[2]。818年にイベリア半島を支配する後ウマイヤ朝の首都コルドバから8,000の家族がフェズに移住し[3]、イベリア半島からフェズに亡命したイスラム教徒は町の発展に寄与した[4]。825年にはチュニジアのカイラワーン(ケルアン)から追放された家族によって、フェズ川西岸にカイラワーン地区が形成される[5]。9世紀にアンダルス出身者が自分たちの居住区であるアンダルス地区に建立したアンダルス・モスクはイスラム教徒の礼拝の場となり、カイラワーン地区にはアンダルス・モスクの建立と同時期にカラウィーン・モスクが建立された[4]。伝説によれば、カイラワーンからフェズに亡命した富豪が2人の娘に莫大な財産を遺して没し、遺産を相続した姉妹は信仰心の篤さを示すために、それぞれカラウィーン・モスクとアンダルス・モスクを建立したという[6]。

やがてフェズはエジプトのファーティマ朝の支配下に入り、919年/930年にカイラワーン地区のカラウィーン・モスクは金曜モスクとされる[7]。933年から980年までフェズは後ウマイヤ朝の支配下に置かれ、この時代にはイベリア半島からの影響を強く受けた建築物が作られる[8]。後ウマイヤ朝の建築様式は、11世紀から13世紀にかけてモロッコを支配したベルベル人国家のムラービト朝とムワッヒド朝にフェズを通して継承される[9]。

1069年にムラービト朝はフェズを占領し、ムラービト朝がマラケシュを首都に定めた後もフェズは芸術・学問の中心地として発展を続ける[10]。11世紀のムラービト朝の時代にフェズ川を隔てて並立していた2つの地区は塁壁で1つに統合されるが[11][12]、居住区が一つとなったあとも両地区の独自性は数世紀にわたって保たれた[4]。

1146年にフェズはムワッヒド朝の支配下に入る。ムワッヒド朝の君主ムハンマド・ナースィルの時代に行われた統計調査では782のモスク、89,236の住宅、19,041の使用人が住む離れの小屋、9,082の店舗、467の商館がフェズに存在していたことが記録されている[13]。

マリーン朝の建国

13世紀初頭、アルジェリア東部のビスクラ地方で遊牧民族が建国したマリーン朝が台頭し、1248年にフェズはマリーン朝の支配下に入る。マリーン朝はこれまでモロッコを支配していたムワッヒド朝との関係を絶つため、ムワッヒド朝時代の都マラケシュに代えて、フェズを首都に制定した[13]。1276年にマリーン朝の君主アブー・ユースフ・ヤアクーブはフェズの新市街(フェズ・エル・ジェディド)の建設を命じた。1395年には新市街に大モスクが建立され、新たな宮殿も建設される[14]。マリーン朝時代のフェズは旧市街が経済の中心地、フェズ・エル・ジェディドが行政の中心地となり、あたかも双子都市のように機能していた[15]。旧市街には家屋が密集し、14世紀の最盛期にはおよそ100,000人の市民が旧市街に居住していた[15]。武器博物館の裏には、マリーン朝王族の墓地が広がっている[16]。

フェズはイスラム教徒だけでなくユダヤ教徒にとっても重要な町であり、11世紀の地理学者バクリーはフェズには他のマグリブのどの都市よりもユダヤ教徒が多く住んでいたと記している[17]。イスラム教徒の住民とユダヤ教徒の住民の関係は不安定であり、時にはイスラム教徒によるユダヤ教徒の殺害・略奪が起きた[18]。1276年に起きたポグロム(ユダヤ教徒の大量虐殺)の後からマリーン朝はユダヤ教徒の居住区の必要性を痛感し、1438年ごろにフェズ・エル・ジェディドにメッラーフ(mellah, ヘブライ語: מלאח‎‎, アラビア語: ملاح, الملاح‎‎, ユダヤ教徒の強制隔離地区)が設置された[19]。また、マリーン朝時代のフェズにはユダヤ人居住区以外にイベリア半島出身のキリスト教徒傭兵の居住区、シリア出身の弓兵の居住区も設けられていた[20]。

マリーン朝の滅亡後に成立したワッタース朝はフェズを首都とし、1549年にフェズはマラケシュを本拠とするサアド朝の支配下に入る。フェズは外来者の受け皿となり、グラナダのナスル朝の滅亡によって現れた難民を受け入れ、アルジェリアやサハラ砂漠からの移民のための居住区が建設される[21]。16世紀以降、断続的に起きる反乱によってフェズの町は衰退していく[11]。17世紀に成立したアラウィー朝はフェズを首都に定め、宗教・学問・商業の中心地として繁栄する。

1911年にフェズはフランスによって占領され、翌1912年に締結されたフェズ条約によってモロッコはフランスの保護下に置かれる。フランス統治下のフェズは軍用地域と市民用地域に分けられ、移動は制限されていた[22]。1916年にフランス人居住区として第三の市街地(ヴィル・ヌヴェル)が建設され、フェズに3つ目の市街が形成される[11]。新市街は幅の広い道路が直角に交差する「近代的」な構造で、さながら迷路のような旧市街と対照的な町並みとなっている[23]。また、フランスによって公布された旧市街に新たな建築物を建てることを禁じる法令は、旧市街の景観の維持に一役買った[24]。このような状況下で、フェズのイスラーム法学者はラバトの知識人と共にモロッコの民族独立運動の担い手として、フランスへの抗議活動に参加した[25]。第二次世界大戦期のアフリカでの植民地戦争において、フェズはレジスタンスの拠点となった[26]。

モロッコ王国再独立後

1956年のモロッコ王国の独立後、フェズの外周にシテ・ポピュレールと呼ばれる新たな住宅地が拡大する[27]。シテ・ポピュレールには集合住宅が建てられ、病院、学校、道路などの施設や工場が整備された[28]。1976年以降、フェズ知事と市議会、市域外の地方議会による行政システムが導入される[29]。1990年12月14日、労働組合のストライキに端を発する暴動が起きる[30]。暴動の後、旧市街、新市街、フェズから約25km南にある町セフルーの3つの地域に行政を担う知事が任命された。

^ a b 松原『フェスの保全と近代化』、17頁 ^ 深見『世界のイスラーム建築』、84頁 ^ 私市「マグリブ中世社会のユダヤ教徒―境域の中のマイノリティ」『イスラーム世界の発展』、102頁 ^ a b c 『ユネスコ世界遺産 11(北・西アフリカ)』、12頁 ^ ガリマール社、同朋舎出版編『モロッコ』、214頁 ^ ガリマール社、同朋舎出版編『モロッコ』、224,229頁 ^ ホーグ『イスラム建築』、71頁 ^ ホーグ『イスラム建築』、57頁 ^ ホーグ『イスラム建築』、67頁 ^ ガリマール社、同朋舎出版編『モロッコ』、215-216頁 ^ a b c 引用エラー: 無効な <ref> タグです。「c-jiten2012」という名前の注釈に対するテキストが指定されていません ^ 深見『世界のイスラーム建築』、84-85頁 ^ a b 私市「マグリブ中世社会のユダヤ教徒―境域の中のマイノリティ」『イスラーム世界の発展』、107頁 ^ 『ユネスコ世界遺産 11(北・西アフリカ)』、13頁 ^ a b 深見『世界のイスラーム建築』、85頁 ^ 米山『モロッコの迷宮都市フェス』、229頁 ^ 私市「マグリブ中世社会のユダヤ教徒―境域の中のマイノリティ」『イスラーム世界の発展』、103頁 ^ 私市「マグリブ中世社会のユダヤ教徒―境域の中のマイノリティ」『イスラーム世界の発展』、105,107-109頁 ^ 私市「マグリブ中世社会のユダヤ教徒―境域の中のマイノリティ」『イスラーム世界の発展』、113-114頁 ^ 松原『フェスの保全と近代化』、19頁 ^ 引用エラー: 無効な <ref> タグです。「松原『フェスの保全と近代化』、19-20頁」という名前の注釈に対するテキストが指定されていません ^ 米山『モロッコの迷宮都市フェス』、74-75頁 ^ 私市、佐藤『モロッコを知るための65章』、323-324頁 ^ 引用エラー: 無効な <ref> タグです。「ガリマール社、同朋舎出版編『モロッコ』、221頁」という名前の注釈に対するテキストが指定されていません ^ 私市、佐藤『モロッコを知るための65章』、56頁 ^ ガリマール社、同朋舎出版編『モロッコ』、217頁 ^ 米山『モロッコの迷宮都市フェス』、33-34頁 ^ 米山『モロッコの迷宮都市フェス』、34頁 ^ 米山『モロッコの迷宮都市フェス』、74頁 ^ 米山『モロッコの迷宮都市フェス』、168-169頁
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