1468年に羊飼いの前に聖母が現れた後、フランシスコ修道会の聖堂(教会堂)が建設され、1522年には修道生活に入ったばかりのイグナチオ・デ・ロヨラも訪れた[1]。聖堂は数度の火災に見舞われ、オリジナルの部分は完全に焼失したが、1950年に再建計画が考案され、バスク地方の芸術家たちがバシリカの再建に携わった[1]。フランシスコ・ハビエル・サエンス・デ・オイサとルイス・ラオルガが建築家たちの指揮を執り、ルシオ・ムニョス(祭壇上部の装飾)、ホルヘ・オテイサ(十四人の使徒の彫刻)、エドゥアルド・チリーダ(入口扉)、ネストル・バステレチェア(地下聖堂の絵画)、シャビエル・アルバレス・デ・エウラテ(窓のステンドグラス)などの芸術家が作業に参加。1955年にバシリカの建物が完成し、宗教建築としてだけでなく芸術的にも高く評価されている[1]。1955年からは長らく作業が中断していたが、アランツァスの聖母顕現500周年の1969年に全体が完成した[2]。1968年にエウスカルツァインディア(バスク語アカデミー)が共通バスク語の骨子を提言したのはこの聖堂だった[2]。1970年代にはバスク地方分離独立主義組織バスク祖国と自由(ETA)がこの聖堂に別の意味を付加し、オテイサによるピエタ像を、グアルディア・シビル(治安警察)によって殺害された活動家のチャビ・エチェバリエタのオマージュとして解釈した[2]。聖堂はETAと政府当局の交渉の場としても機能しており、公式・非公式な折衝の場となった[2]。1995年、バスク地方出身の映画監督であるアレックス・デ・ラ・イグレシアは、アランツァス聖堂も舞台とした『ビースト 獣の日』というSFホラーアクションコメディを製作した[3]。アランツァス聖堂の主要な祝祭は毎年9月9日に行われる。
バシリカの身廊
ムニョスによる装飾
オテイサによる彫刻『十四人の使徒』
チリーダによる彫刻
バステレチェアによる絵画『キリストの復活』
エラウテによるステンドグラス
^ a b c 菅原千代志・山口純子『スペイン 美・食の旅 バスク&ナバーラ』平凡社、2013年、p.53
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^ “El artista y la Bestia” (Spanish). エル・パイス (2003年4月10日). 2014年11月27日閲覧。
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