アクスム(アムハラ語:አክሱም、伊: Axum、仏: Axoum、英: Aksum)は、エチオピア北部の街。アドワ山地の麓に近いティグレ州メハケレグナウ圏 (英: Mehakelegnaw Zone) にある。
かつてのアクスム王国の中心地である。この王国はイエス誕生の頃に勃興(ぼっこう)し、在りし日のペルシャ帝国に対抗する東ローマ帝国の半同盟国として、海上貿易で栄えたキリスト教国であった。
しかし7世紀に没落し、原因は不明だが、もっぱら岸伝いの近海を進んだ貿易船の航行がイスラームの台頭により妨げられたため、アレクサンドリアやコンスタンティノポリスなど主要市場との関係が絶たれて衰退につながったと推測されている。王国の競争力が衰えるとアスクムの地位も落ち、エチオピア帝国の中心地は内陸部にシフトした。
2015年の人口は6万6800人。その75%がエチオピア正教徒で、残りはスンニ派のムスリムや非正教系のキリスト教徒である。
アクスムに入るには、アスクム空港がある(IATA:AXU、ICAO:HAXX)。
その歴史的価値から、考古遺跡群が1980年にユネスコの世界遺産に登録された。
アクスム王国はゲエズ語と呼ばれる固有の文字言語を持ち独自の建築様式を発達させており、それを代表する巨大なオベリスクの最初期の例は紀元前5000年から前2000年まで遡る[1]。この王国はエザナ王の時に最盛期を迎えた。公式にキリスト教に改宗したのもこの時期で、エザナ王にも「アブレハ」という洗礼名がある[2]。初期の伝道を行った人物としてエチオピアの大主教フルメンティがいる。
エチオピア正教会はシオンのマリア教会の小礼拝堂にかつて契約の聖櫃があり、モーセの十戒を刻んだ石版を納めていたと主張している。この教会はファシリデス帝の治世まで数世紀にわたり代々のエチオピア皇帝が来拝し、中断の時期をはさんでヨハンネス4世から帝政の終焉まで再び歴代皇帝が通っていた。アクスムはエチオピア最高の聖地であり、重要な巡礼地とされる[3]。
重要な祭事であるティムケット祭(T'imk'et Festival, 正教会でいう神現祭、西洋世界でいう公現祭)は例年1月19日に行われ、11月下旬にマリヤム・シオン祭(シオンのマリア祭)を祝う。
1937年に1700年前のオベリスク(全高24m)をイタリア軍が3分割し、ローマに持ち帰った。このオベリスクがアクスム王国最盛期の技術の最良の例証の一つであることは衆目の一致するところであり、1947年に国連はオベリスクがエチオピアに返還されるべきであると決議した。しかしイタリアは承諾せず、両国政府の長い外交交渉の末に、2005年に返還された[要出典]。
^ Herausgegeben von Uhlig 2005, p. 871. ^ Fage 2001, pp. 53–54. ^ Hodd 2002, p. 859.
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