Convento de Cristo

( トマールのキリスト教修道院 )

トマールのキリスト教修道院(ポルトガル語: Convento de Cristo em Tomar)は、ポルトガルの都市・トマールにある修道院であり、12世紀にテンプル騎士団によって建設された。14世紀にテンプル騎士団に対して解散命令が出た後、ポルトガルに存在したテンプル騎士団は、キリスト騎士団へと改編され彼らが管轄することとなった。キリスト騎士団は、大航海時代のポルトガルを支え、ポルトガル海上帝国の礎を築いたことで有名である。

1983年に、ユネスコの世界遺産に登録された。

始まり

1160年に、テンプル騎士団によって建設が開始された。12世紀の後半には、ポルトガルにおけるテンプル騎士団の本部の役割を果たした。もともと、トマールの修道院及び城塞は、勃興したばかりのポルトガル王国の対ムーア人への防波堤の役割を果たしていた。

 青色の部分がマヌエル1世時代に建設された部分。赤色がテンプル騎士団時代、緑色の部分がエンリケ航海王子の時代に建設されたことを示している

テンプル騎士団の円堂は、12世紀に建設された。他のヨーロッパ世界にあるテンプル騎士団の教会と同様に、エルサレムにあるオマール・モスクをモデルとしている。このオマール・モスクは、十字軍がエルサレム神殿の名残と信じたモスクである。また、エルサレムの聖墳墓教会もモデルとなっている。

キリスト教世界の年代記に従うと、トマールの城塞は、1190年に、ヤアクーブ・マンスールの攻撃を耐え抜いたとされる。

キリスト騎士団

1312年、全ヨーロッパ世界で、テンプル騎士団の活動が禁止された。しかし、ポルトガルで活動していたテンプル騎士団のメンバーを中心に、当時の国王ディニス1世は新たに、キリスト騎士団を結成した。1357年に、トマールに移ったキリスト騎士団がここを本拠地とした。

トマールのキリスト教修道院のハイライトは、1417年から1460年にキリスト騎士団の団長を務めたエンリケ航海王子の時代である。エンリケは、レコンキスタが終了したポルトガルを大航海時代に飛躍させた立役者であると同時に、トマールのキリスト教修道院では、墓の回廊・沐浴の回廊を増築した。

1484年にキリスト騎士団の団長に就任し、1492年に国王になったマヌエル1世もまた、修道院の増築を行った。円堂へいたる新しい回廊を建設するとともに、修道院内部の装飾や絵画を増設した。

マヌエル1世の後を継いだジョアン3世は、クレルヴォーのベルナルドゥスの宗教観を持った国王であると同時に、1557年には、新しい回廊の建設を命じた。この回廊はポルトガルにおけるルネサンス建築の中でも特筆すべきものがある。

1581年、スペインとポルトガルの同君連合が成立するとフィリペ1世を国王として認めた。スペインとの同君連合時代に、修道院への送水路が建設された。

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