ティルス

ティルス(Tyrus)(テュロス(Tyros))は、レバノンの南西部、地中海に面する都市遺跡。ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された史跡でもある。ティルスの現在の名前はスール(アラビア語: صور‎)ないしはティール(アラビア語で岩という意味)といわれる。

紀元前2500年、ビブロスやベイルートと共に、フェニキア人の都市として成立。

紀元前1200年頃に他のフェニキア諸都市とともに独立[要出典]し、紀元前11世紀から紀元前9世紀に最盛期。ティルスの植民都市としてカルタゴを建設。

紀元前9世紀から紀元前8世紀にアッシリアの強大化によって勢力を失い、他のフェニキア諸都市と同様にアッシリアに従属する。

紀元前701年、エジプトと同盟しアッシリアに反乱。アッシリア王センナケリブの遠征軍に包囲され包囲は失敗したものの、服属。

紀元前671年、エジプトと同盟しアッシリアに反乱。アッシリア王エサルハドンの遠征軍の攻撃を受ける。アッシュールバニパルの死後、アッシリアから独立したが、紀元前586年、新バビロニア王ネブカドネザル2世の遠征軍に包囲され13年間にわたり抵抗した後、服属。

紀元前332年、マケドニアのアレクサンドロス3世(大王)の東征軍に対し、フェニキア人の中で唯一激しく抵抗したが、包囲され、要塞化されたティルスの島に立てこもった。しかし、アレクサンドロス3世は艦隊で海上を封鎖し、7ヶ月かけて島との間を埋め立てて突堤を築き、攻撃を仕掛けた。強固な守りにアレクサンドロス大王も苦戦したが、強力な射出装置によって城壁を砕き、破砕口から進撃してティルス軍を一網打尽にした。この戦いによるティルス側の戦死者は8,000人、陥落後さらに2,000人が殺害され、3万人のティルス市民が奴隷として囚われたといわれる。後にアレクサンドロス3世の許しを得てティルスは再建されるが、政治的にも経済的にも弱体化し、かつての繁栄は失われた。

その後、セレウコス朝シリアやローマ帝国の支配下に置かれ、12世紀には十字軍の支配を受ける。第三回十字軍の際にはコンラード1世率いる現地十字軍勢力がイスラム勢力に抵抗その後、イスラム化が進行するにつれ、ティルスは縮小され、ついには放棄される。

現在は、ローマ帝国支配時代の遺跡があまり風化せず数多く残るが[1]、都市としての面影は無い。周辺地域にてスールやアナーといった小さな村が点在するだけである。

^ 高さ十数メートルの円柱が両サイドに数十本ずつ立ち並ぶ大通りが続いている。この都市遺跡は1920年代に土の中から発見されたので、破壊されずに残っていた。また、この都市遺跡から少し離れたところにほとんど破壊されていない巨大な競技場が残っている。(堀口(2005) 29ページ)
写真提供者:
Statistics: Position
9534
Statistics: Rank
1021

コメントを追加

CAPTCHA
セキュリティー
279658413このシーケンスをクリックまたはタップします: 4397
この質問はあなたが人間の訪問者であるかどうかをテストし、自動化されたスパム送信を防ぐためのものです。

Google street view

どこの近くで寝れますか ティルス ?

Booking.com
572.696 総訪問数, 9.238 興味がある点, 405 保存先, 368 今日の訪問.