スルタン・アブドゥル・サマド・ジャメ・モスク(ジャメ・モスク、マスジッド・ジャメとも。マレー語: Masjid Jamek Sultan Abdul Samad、ジャウィ文字:مسجدجامعسلطانعبدالصمد)は、マレーシアのクアラルンプールにある最も古いモスクのひとつである。クラン川とゴンパック川の合流地点にあり、ジャラン・トゥン・ペラ(トゥン・ペラ通り)からアクセスすることができる。モスクはアーサー・ベニソン・ハバックによって設計され、1909年に建造された。
「ジャメ」とは、人々が礼拝に集まる場所を意味するアラビア語(جامع)に相当するマレー語である。
モスクは、クラン川とゴンバック川の合流点にある、古いマレー人向け埋葬地のあった場所に建てられ、ジャメ・モスクと名付けられた[1][2]。ジャラン・トゥン・ペラ及びマレーストリート近辺には、それ以前からもマレー人コミュニティのためのモスクがいくつかあったものの、ジャメ・モスクは大規模なモスクとしてクアラルンプールに建造された最初のものである。モスクの礎石は、1908年3月23日にセランゴールのスルタンによって敷設され、モスクは1909年12月23日に正式に公開された[3][4]。モスクの建設には32,625ドルの費用を要し、その一部は英国植民地政府からの寄付を受けたマレー人コミュニティの資金により賄われた[5]。建築家はアーサー・ベニソン・ハバックで、インドのイスラム王朝ムガル帝国の建築様式を用いてこのモスクを設計した[6]。ジャメ・モスクは、1965年にマスジッド・ネガラが建てられるまで、クアラルンプールの主要なモスクとしての役割を果たした。
モスクはその後増築により規模が拡張されており、現在はオープンエアになっている前庭も、当初は屋根で覆われていた[7]。モスクのドームの1つは、1993年に大雨のために崩壊したが、その後修復された[3]。
2017年6月23日、ジャメ・モスクの正式名称が、セランゴールの当時のスルタンにより、第4代スルタンであったスルタン・アブドゥル・サマドの名前を取って、スルタン・アブドゥル・サマド・ジャメ・モスクに改名された。これは、ジャメ・モスクが建てられている土地は、本来セランゴール州の一部であったためである[8]。
^ J.M. Gullick (2000). A History of Kuala Lumpur 1856-1939. The Malaysian Branch of the Royal Asiatic Society. p. 164 ^ Bavani M (2016年4月13日). “Rock-solid proof of 200-year-old graves”. the Star Online. the Star. 2019年9月21日閲覧。 ^ a b Lam Seng Fatt (15 October 2011). Insider's Kuala Lumpur (3rd Edn): Is No Ordinary Travel Guide. Open Your Eyes to the Soul of the City (3rd Revised ed.). Marshall Cavendish International Asia Pte Ltd. pp. 38–39. ISBN 9789814435390 ^ “Masjid warga kota” (Malay). Utusan Online. (2013年2月27日). オリジナルの2016年8月21日時点におけるアーカイブ。2019年9月21日閲覧。 ^ 引用エラー: 無効な <ref> タグです。「travel guide」という名前の注釈に対するテキストが指定されていません ^ Malaysian Institute of Architects (2007). Architectural Heritage: Kuala Lumpur - Pre-Merdeka. Pertubuhan Akitek Malaysia ^ Audrey Southgate, Gregory Byrne Bracken (15 January 2014). A Walking Tour Kuala Lumpur (2nd ed.). Marshall Cavendish Editions. ISBN 9789814516945 ^ QISHIN TARIQ (2017年6月23日). “KL's oldest mosque renamed Masjid Jamek Sultan Abdul Samad”. The Star2019年9月21日閲覧。
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