Principality of Sealand
( シーランド公国 )- シーランド公国
- Principality of Sealand
- 国の標語:E mare libertas
(ラテン語: 海からの自由) - 国歌:海からの自由
シーランド公国(シーランドこうこく、英語: Principality of Sealand)は、北海の南端、イギリス南東部のサフォーク州の10 km沖合いに浮かぶ構造物を領土と主張する立憲君主制の自称国家(ミクロネーション)。全国連加盟国及びバチカン市国よりも面積が小さいため、世界最小の国家を自称する。ただし、創設以降、シーランド公国の国家承認を明示的に行った国は存在しない。

イギリスは第二次世界大戦中、沿岸防衛の拠点として4つの海上要塞と多数の海上トーチカを建設した[1]。これらはマンセル要塞(Maunsell Fort)と呼ばれる。
シーランド公国が領土としているフォート・ラフス(Fort Roughs / U1、ラフス・タワー Roughs Tower とも)は、最も北に位置していた海上要塞であり、1942年から建設された。イギリス沖10 kmの北海洋上、ラフ・サンズ(Rough Sands)と呼ばれる砂堆の上に、大きな柱が二本ある巨大な構造物(ポンツーン)を沈め、海上に突き出した柱の上に居住区や対空砲台などが作られていた。戦時中は150から300人ものイギリス海軍兵員が常時駐留していたが、大戦終了後の1956年に要塞は放棄された[1]。
1967年9月2日に元イギリス陸軍少佐で海賊放送の運営者だったパディ・ロイ・ベーツは、イギリス放送法違反で訴えられた[2]。彼は当時イギリスの領海外に存在したこの要塞に目をつけ、不法占拠した上で「独立宣言」を発表、要塞を「シーランド」と名付け、自ら 「シーランドの公、ロイ公殿下」(H.R.H. Prince Roy, The Prince of Sealand)と名乗った。
イギリスは強制的に立ち退かせようと裁判に訴えたが、1968年11月25日に出された判決では、シーランドがイギリスの領海外に存在し、またイギリスを含めて周辺諸国が領有を主張していなかったことから、イギリス司法の管轄外とされた[2]。
1975年には憲法・国旗・国歌を制定した。
クーデターの勃発1978年に、ロイ・ベーツ公はカジノの運営を計画し、西ドイツの投資家アレクサンダー・アッヘンバッハ(Alexander G. Achenbach)を首相に任命した。ところが、アッヘンバッハらはクーデターを画策し、モーターボートやヘリコプターでシーランドを急襲して当時のマイケル・ベーツ公子(現在の公)を人質に取ると、ロイ・ベーツ公を国外へと追放した。英国へと渡ったロイ・ベーツ公は、20名程の同志を募ってヘリコプターを使用しての奪還作戦を行い、これを成功させた[3]。これをきっかけにシーランド騎士団が創設されることとなった。
アッヘンバッハは公国のパスポートをもつ同「国」の「国民」であることから、シーランド公国により反逆罪で投獄され、7万5千マルクの罰金を命じられた。西ドイツ政府はイギリス政府に西ドイツの国民であるアッヘンバッハらの解放を依頼したが、イギリス政府は海上要塞は自国の司法の管轄外にあるとする1968年の判決を理由に断り、やむなく西ドイツはシーランド公国へ駐ロンドン大使館の外交官を派遣して解放交渉を行うこととなった。一国から正式に外交官が派遣されるという事態に、ベーツは自国が事実上西ドイツにより承認されたものと喜び、罰金の問題は立ち消えることになった。
西ドイツへと戻ったアッヘンバッハらは、アッヘンバッハを枢密院議長(Chairman of the Privy Council)として擁立し、シーランド公国亡命政府の樹立を宣言、シーランドの正統な権利を主張した[3]。1989年にアッヘンバッハ枢密院議長が健康上の理由から引退すると、ヨハネス・ザイガー(Johannes Seiger)が首相兼枢密院議長(Prime Minister and Chairman of the Privy Council)として後を継いだ。1990年には、シーランド公国亡命政府としての独自硬貨の発行も行っている。
近年における問題2006年6月23日、老朽化した発電機から火災が発生し公国が半焼。ロイ・ベーツはこのとき国外に住んでいたため無事であったが、「国土」は壊滅状態に陥った[4]。同6月25日にはベーツ夫妻が国土に戻り、私財を投じて国土の再整備を行い、7月末には発電機や焼失した配線系統の復旧が完了し、公国が存続することができた[4]。国土の再整備には、売りに出した爵位などの売上金が再建の助けになったとも言われている[4]。
シーランド公国は、希望があればパスポートを発行するサービスも行っていたが、大量の偽造パスポートが出回ったため発行を一時中止して、1997年以前に発行されたパスポートはすべて無効にする事態となっている[4]。
2007年1月8日付のイギリスデイリー・テレグラフ紙で、6500万ポンドで国全体が売りに出されていることが報じられた。なお、あくまでも国家の主権は「売り物」ではないため、シーランド公国側では売却(Sale)ではなく、譲渡(Transfer)という言葉が用いられた。これを受けて、スウェーデンにてBitTorrentのトラッカーを扱うウェブサイト「パイレート・ベイ」が買収に名乗りを上げたが、シーランド公国側に拒絶され断念する[5]。
2012年には国内の電力を賄っていたディーゼル発電機から発火し、領土の大部分が壊滅的な被害を受けている。なお、火災事故を受け発電方法は太陽光と風力発電へシフトしている。
ロイ・ベーツの薨去
ロイ・ベーツは、2012年10月9日(英国時間)に91歳で薨去した[6]。同日、「摂政」を務めていたマイケル・ベーツ公世子が父の後を継ぎ、2代目シーランド公国公に即位した[7]。マイケル公は、シーランド騎士団の公募を開始した。
現在シーランド公国の現状が2021年12月26日のAFP通信(AFPBB News)[8]に掲載された。新型コロナウイルス感染症(COVID-19)が世界的に流行して以降、デッキに上がる前に陰性証明を提示しないと入国(上陸)は認められておらず、管理はロイ氏の孫(マイケル氏の息子)であるリアム・ベーツ氏(自称:公子の一人)が行っている。関係者はリアム氏の兄・ジェームズ・ベーツ氏、エンジニアのジョー・ハミル氏と国家安全保障相のマイケル・バーリントン氏の4名であると記事で紹介されている。
^ a b 武田知弘 2008, p. 73. ^ a b 武田知弘 2008, p. 74. ^ a b 武田知弘 2008, p. 75. ^ a b c d 武田知弘 2008, p. 76. ^ 「世界最小国家」買収にBitTorrentサイトが名乗り、IT Media News、2007年1月16日 ^ Prince Roy of Sealand aka Roy Bates (passed away 9th October 2012) Obituary ^ Sealand Treasury ^ “英政府に逆らう小さな「独立国家」 海の上のシーランド公国を訪ねて”. AFPBB News (2021年12月26日). 2021年12月27日閲覧。
コメントを追加