Salvador

( サルヴァドール )

サルヴァドールSalvador [sawvaˈdoʁ])は、ブラジル北東部の大西洋岸にある港湾都市。同国バイーア州の州都である。なお一般的には、サルヴァドールよりもバイーアBahia [bɐˈiɐ] ( 音声ファイル))と呼ばれる方が多い。 大西洋に面し、「諸聖人の湾」を取り囲む半島に位置している。主要な輸出港であるとともに、この湾周辺のRecôncavo Baiano大都市圏の中心でもある。2016年7月1日での市域人口は約294万人でサンパウロ、リオデジャネイロ、ブラジリアに次ぐ同国第4位の人口規模を有している。

「諸聖人の湾」が初めてヨーロッパ人によって発見されたのは1502年だが、サルヴァドールが建設されるのは1549年、初代ブラジル総督トメ・ヂ・ソウサ率いるポルトガル人入植者の到着を待たねばならなかった。その後急速にブラジルの主要貿易港として発展し、砂糖産業と奴隷貿易の中心地であったポルトガル領ブラジルの最初の首都となった[1]。1552年にはブラジルで初めてカトリックの司教座となり、以後ブラジルのカトリック教会の中心地のひとつでありつづけている。1583年に人口1,600人に達した後も急速な成長を続け、北米でアメリカ独立戦争が起こった1776年の段階では、新世界で最大の都市のひとつになっていた。

当時サルヴァドールはポルトガル副王国グラン・パラ、およびバイーア・デ・トードス・オス・サントス県の首都であった。1624年5月オランダがサルヴァドールを攻略、翌1625年4月にポルトガルが奪還するまで、他の北東部の港と同様に占領を続けた。

1763年、その当時新たな経済の中心地となったリオデジャネイロへと植民地ブラジルの首都が移転したが[2]、サルヴァドールはブラジル独立運動の拠点となり、1812年にはポルトガルによる攻撃を受けている。そして1823年7月2日には独立を達成した。その後ブラジルの工業化の流れに取り残されたため、150年にわたり斜陽の一途を辿っていた。この間1948年に人口は34万人、1991年には人口は208万人を記録している。

1832年2月29日、ダーウィンの乗ったイギリス軍艦ビーグル号が到着した[3]。

1990年代に入り、市政府によって旧市街の歴史地区ペロウリーニョの浄化・復元プロジェクトが行われ、ブラジルの文化と観光の中心地となっている。このため一時は治安が良くないとされたが、交番も各所に設置されるようになり、カルナヴァルの時期などには多くの警官が街角に配備されることなどから、治安に対する不安も減少傾向にあるといわれる。

2014 FIFAワールドカップの開催都市の一つであった。

^ 『地球の歩き方 2016〜17 ブラジル ベネズエラ』ダイヤモンド・ビッグ社、2016年、239頁。ISBN 978-4-478-04851-1。  ^ 「ブラジルの都市の歴史 コロニアル時代からコーヒーの時代まで」p129 中岡義介・川西尋子著 明石書店 2020年1月31日初版第1刷発行 ^ パトリック・トール著、平山廉監修、南條郁子、藤丘樹実訳 『ダーウィン』 《「知の再発見」双書99》 創元社 2001年 36ページ
写真提供者:
Dejesus - CC BY-SA 3.0
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