Santiago de Compostela

( サンティアゴ・デ・コンポステーラ )

サンティアゴ・デ・コンポステーラSantiago de Compostela)は、スペイン・ガリシア州ア・コルーニャ県のムニシピオ(基礎自治体)。ガリシア州の州都である。コマルカ・デ・サンティアーゴ郡に属する。ガリシア統計局によると、2012年の人口は95,671人(2010年:94,824人) で、州内ではビーゴ、ア・コルーニャ、オウレンセ、ルーゴに次ぐ5番目の人口規模の街である。住民呼称はcompostelán/-lá、santiagués/-esa、またpicheleiro/-aなどが使われる。本都市を中心に近隣の自治体アメス、ボケイション、ブリオン、テオ、バル・ド・ドゥブラ、ベドラとコマルカ(県と市の中間単位、コマルカ・デ・サンティアーゴ)を構成している。

サンティアゴ・デ・コンポステーラには自治州政府(シュンタ・デ・ガリシア)が置かれ、ガリシア州の政治の中心であると同時に、宗教的には大司教座が置かれている。旧市街は1985年にUNESCO世界遺産に登録されており、また、エルサレム、バチカンと並ぶキリスト教三大巡礼地のひとつでもあり、世界遺産に登録されているサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路の終着地でもある。

ガリシア語話者の自治体人口に占める割合は35.92%(2011年)。

現在サンティアゴ・デ・コンポステーラのある場所には、古代ローマ時代にはローマ街道の交差する交通の要衝という立地から、城塞とそれに付随する集落が存在した[1]。イスラム勢力から離れた9世紀に聖ヤコブの墓が発見され、アルフォンソ2世によってローマ時代の集落の跡地に新たな集落と実質的にイリア司教座となる教会が作られたのが、サンティアゴ・デ・コンポステーラの基礎となっている[1]。レコンキスタと再入植(レポブラシオン)運動の最前線に位置することから、10世紀以降には城壁に囲まれた軍事拠点へと発展した。1085年のトレド征服後には、王権と植民の拡大を狙うレオン・カスティーリャ王家と、スペイン教会への影響力強化を望むローマ教皇庁の思惑の一致からサンティアゴ巡礼路が整備され、12世紀前半までにガリシア地方の中心都市として著しい発展を遂げた[1]。

^ a b c 比較都市史研究会(編)『比較都市史の旅 時間・空間・生活』 原書房 1993年 ISBN 4-562-02400-3 pp.68-79.
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