Saint-Malo

( サン・マロ )

サン・マロ(フランス語: Saint-Malo フランス語発音: [sɛ̃ malo], ブルトン語: Sant-Maloù, ガロ語: Saent-Malô)は、イギリス海峡に面したフランス北西部ブルターニュ地方の城壁に囲まれた港町である。サン・マロには、イル=エ=ヴィレーヌ県の郡庁がある。

サン・マロは、中世にはランス川河口の要塞化された島で、河口だけでなくその向こうに広がる公海を統御していた。今ではサン・セルヴァン(フランス語版)地区となっている現在の中心地の南方、Aleth岬の砦はローマ時代以前からランスへ接近するものを見下ろしていた。しかし、現代のサン・マロは、6世紀初期に聖アーロンと聖ブレンダンによって設立された修道士の居住地にその起源を遡る。その名前は、ブレンダンの弟子だったと言われる聖マロに由来する。

 サン・マロの古地図

サン・マロは、その後、誰の命令にも服さない、凶暴な海賊の根城として悪名高くなった。1590年から4年間、サン・マロは、「フランス人でもなく、ブルターニュ人でもなく、サン=マロ人だ」というモットーを掲げて、独立共和国であるとの宣言さえした。サン・マロの海賊・私掠船「コルセール」は、英仏海峡を通るイギリス船に通行料を課しただけではなく、さらに広い範囲から富を持ち帰った。セントローレンス川を航行し、現在のケベック市やモントリオールの地を訪れ、それゆえにカナダの発見者とされるジャック・カルティエは、サン・マロに住み、サン・マロから航海した。フォークランド諸島へ移住する最初の入植者も、ジャック・カルティエと同様に、サン・マロから出航したので、この島のスペイン語名「Islas Malvinas(マルビナス諸島)」はフランス語の「Îles Malouines」から来ている。

サン・セルヴァン市は、パルメと共に合併され、1967年にサン・マロ市になった。

サン・マロは、欧州安全保障防衛政策に関する重要な合意に導いた英仏会談の場となった。イギリス首相トニー・ブレアとフランス大統領ジャック・シラクは、「(欧州)連合は、国際的危機に対応するために、信頼性のある軍事力とその行使を決定する手段に裏打ちされた、自律的行動のための能力を保有しなければならない。」と声明した。[1]

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