サナアSana'a、アラビア語: صَنْعَاء‎; Ṣanʿāʾ, サンアー(ッ))は、アラビア半島南西にあるイエメンの首都。サヌアサヌアーサナアーとも表記される。

英字表記はSanaa、Sana'a、San'aa、Sanaなど。

世界最古の町のひとつとされ、伝説ではノアの息子・セムによって町が創建されたとされる。エベルの息子のヨクタン(イエメンに入植したと言われる)の子孫・ウザルに因んで、サナアは古くは「アザル」と呼ばれた。現在の地名は南アラビアの言葉で「堅牢な要塞」を意味する。

サバア王国の王都があったとされるマアリブ(今日のマアリブ県)と紅海を結ぶ十字路に位置し重要な町であり続けたヒムヤル王国(紀元前115年頃 - 525年)の最後の王・ズー・ヌワース(英語版)は都をサナアに移した[要出典]。アクスム王国では総督府が置かれた。

イスラム教がこの地に入りカリフ制国家の支配下に入ってもサナアは中心都市として揺ぎ無いものがあった。マムルークが1517年にイエメンに侵入するもマムルーク朝はオスマン帝国に滅ぼされると、サナアはその支配下に置かれた。1538年から1635年の第一次支配下ではウィラーヤの中心となり、1872年から1918年のオスマン帝国の第二次支配下でもウィラーヤの都であった。

1918年にイエメン王国が成立すると首都となり、1962年にイマームが放逐されイエメン・アラブ共和国が成立されるとその首都となった。南北イエメンが統一された1990年からは現在のイエメン共和国の首都である。ところが2014年8月から反政府運動が起こり、9月にはフーシがサナアを制圧し、アブド・ラッボ・マンスール・ハーディー大統領を軟禁した[1]。その後、大統領は首都を脱出したが、イエメンは内戦状態となった。フーシは内戦の期間中、サナアを拠点としてイエメン西部を掌握し続けた[2]。フーシはしばしば大統領を支援するサウジアラビアやアラブ首長国連邦を攻撃し、それらの国は報復としてサナアを爆撃した[3]。

2023年、フーシが紅海を航行する船舶への攻撃を開始すると、2024年1月11日以降、アメリカとイギリスは報復としてサナア近郊の軍事施設などを爆撃した(2024年のイエメンへのミサイル攻撃)[4]。同年1月12日、サナアの市内ではアメリカとイギリスを非難する大規模な抗議活動が行われた[5]。

^ 「安全対策基礎データ」外務省 ^ “サウジ空爆、「イランが中東揺るがしている」=NATO事務総長”. BBC (2019年9月17日). 2024年1月18日閲覧。 ^ “イエメン空爆で14人死亡 サウジ主導連合軍、UAE攻撃に報復”. AFP (2022年1月13日). 2024年1月18日閲覧。 ^ “米英、フーシ派に軍事行動 紅海の商船攻撃に対抗―中東情勢、一段と緊迫” (2024年1月12日). 2024年1月18日閲覧。 ^ “フーシ派が攻撃続ければアメリカは対応する=バイデン米大統領 米軍の攻撃続く”. BBC NEWS JAPAN (2024年1月13日). 2024年1月18日閲覧。
写真提供者:
Ferdinand Reus from Arnhem, Holland - CC BY-SA 2.0
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