Palácio Nacional de Mafra

( マフラ国立宮殿 )

マフラ国立宮殿(まふらこくりつきゅうでん、ポルトガル語: Palácio Nacional de Mafra)は、ポルトガル西岸部の都市、マフラに位置するバロック建築の宮殿の名称。フランシスコ会の修道院としても機能する建物は、嘗てポルトガルにおいてジョアン5世が国王として君臨していた18世紀に、彼の妻であるマリア・アナがもしも王位の次代を継ぐことになる子孫をもうけることができたならば、修道院を作るとする誓約の結果として建設されたものである。その後1711年に王女となる娘のバルバラを授かり、王を宮殿の建築へと向かわせた。

宮殿はポルトガルで最も豪華なバロック建築の一つに数えられる。建物はバシリカで占める中央部の中心線から左右対称に建てられ、正面ファサードから2つの大きな塔まで長く続いている。修道院そのものの組織は正面ファサードの背後に位置している。また建物は4万冊の珍奇な図書を収容する大きな図書館を含むほか、彫刻学校の場として機能している。内部バシリカは複数のイタリア製の像と、6つのパイプオルガン、そして92個の鐘で構成されるカリヨンで彩られている。

 宮殿内にあるパイプオルガンの一つ。

宮殿は王権によって永久に占有されていたわけではなかったにもかかわらず、宮殿近隣の狩猟用野生動物保護区であるマフラ国有林でよく狩猟を楽しんでいた王家の一族にとって評判の良い目的地であった。19世紀のジョアン6世の統治下において宮殿は国王が居住し、また建物の部分的な改築の責任も負った。しかし1808年に起こったスペイン独立戦争期にフランス軍がポルトガルに侵攻した際に、王室一族は建物から複数の高級な芸術品や家具を持ち出しブラジルへと退避した。

ポルトガル内戦後の1834年、女王マリア2世が修道会の解散を命じ修道院はフランシスコ会によって放棄された。その後ブラガンサ家最後の統治下において宮殿は、狩猟の行楽地として使用され続けていた。ポルトガル最後の国王であるマヌエル2世は宮殿を去り、その国外追放の途中でマフラ沿岸の村であるエリセイラへ立ち寄っている。

宮殿は1907年にポルトガル国立史跡の一つとして公表された。今日において建物は、正面ファサードの保護などを含んだ複数の修復計画を実施する、ポルトガル国家建築遺産協会により保存されている。これにあたってパイプオルガンの専門的修復が1990年代から各国の専門家らとともに始められ、3番目と4番目のオルガンが目下修復されている。

写真提供者:
prilfish from Vienna, Austria - CC BY 2.0
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