Colmar

( コルマール )

コルマール(フランス語: Colmar, ドイツ語: Colmar)は、フランス東部、グラン・テスト地域圏のコミューンである。オー=ラン県の県庁所在地。ストラスブールから南へ30kmほどの場所にある。コルマルと記載されることもある。

主な産業は電気機器、電機部品製造、製薬業。

 旧市街の街並

コルマールはかつて現在のドイツを中心とする神聖ローマ帝国自由都市であり、歴史ある街である。

コルマールに触れた最古の文献は823年、カロリング朝の国王荘館(Königshof)に触れたものであるが、国王荘館はメロヴィング王国時代にまで遡る。文献ではコルンバリウム(Columbarium、ラテン語で鳩小屋の意)として言及されている。カール肥満王(Karl der Dicke)の治下、884年帝国会議(Reichsversammlung)が開かれた。重要な街道の交差点であり、またイル川を利用した水運のおかげでホーエンシュタウフェン王朝期に発展した。フリードリヒ1世は当地に4回滞在している。フリードリヒ2世 治下には帝国都市(Reichsstadt)とされ、1226年には初めて>civitas<(「都市」)と言及されている。帝国代官ヴェルフェリン・フォン・ハーゲナウ(Wölfelin von Hagenau)は市壁の建設を行わせた。1255年ヴィルヘルム・フォン・ホラント王(König Wilhelm von Holland)はすべての都市権(alle städtischen Rechte und Freiheiten)を承認した。13世紀都市市民と貴族が長期にわたって敵対し争った。世紀後半市域は急速に拡大した。1278年 15月29日ルドルフ・フォン・ハプスブルクはドイツ語による自由都市証(Freiheitsbrief)を授与した。アドルフ・フォン・ナッサウ王(König Adolf von Nassau)は自治権を承認し、1293年にはこれを拡大した[1]。

14世紀都市市民と貴族の闘争は激しさを増した。1331年 独裁制が導入され、1358年には貴族の最後の叛乱が鎮圧された。13世紀末以降登場していたが、ツンフトが市の政治をリードする。職人(親方と徒弟の間の身分)の組織化も行われる[2]。15世紀末から20年近くもパン職人の闘争が続いたが、その契機となったのは、「聖体節への職人参加の権利をめぐって、コルマール市当局と教会と兄弟団(パン職人)とのあいだで争われた」ことであった。「司祭たちは職人の参加を拒否し」「これに対する職人たちの反抗的行動が裁判沙汰となり」「延々と紛争は続いた」。最終的には、「判決は職人側の決定的な勝利を告げた」[3]。1356年に20を数えたツンフトは、1521年には10にまで減少した[2]。中世末期経済的に大いに発展したが、その中心的役割を担ったのはワインの製造・販売である。商業の中心は、1370年に初めて言及された「カウフハウス」(Kaufhaus)で、1480年建設の建物は現存する[2]。

この町で編まれた『コルマル編年誌』には、「物価に関する多数のデータとそれに説明を加える叙述」や「女性に対する司牧の問題に関して」「極めて生き生きとした叙述」が見られる[4]。

1354年にアルザス10都市が結んだ「十都市同盟」にも、コルマールは参加している。この同盟の目的は、帝国都市としての権益と自由を擁護することにあった。17世紀後半、アルザス地方がドイツ圏からフランス王国に割譲されるとともに、ドイツ文化圏のコルマールはフランス領アルザスの一都市となった。

フランス革命後、1791年の旧地方区分廃止と県の設置に伴い、コルマールはオー=ラン県の県庁所在地となった。普仏戦争でフランスがプロイセンに敗北した後、1871年アルザスはドイツ帝国に割譲され、コルマールはドイツ領エルザス=ロートリンゲン州の一部となった。

1918年にフランスは再びコルマールを自国領に編入した。第二次世界大戦で1941年フランスがドイツに降伏すると、コルマールはバーデン=アルザス大管区に編入された。同地はドイツ国土の一部とされ、1942年にはドイツ国防軍がコルマールに進駐した。コルマールに連合軍が進駐したのは1945年2月である。(コルマールの戦い)

^ Lexikon des Mittelalters. Bd. III. München und Zürich: Artemis 1986 (ISBN 3-7608-8903-4), Sp. 46-47 (Beitrag von L. Sittler). ^ a b c Lexikon des Mittelalters. Bd. III. München und Zürich: Artemis 1986 (ISBN 3-7608-8903-4), Sp. 47 (Beitrag von L. Sittler). ^ 高木健次郎『ドイツの職人』中央公論社(中公新書 467)1977、64-65頁。 ^ エーディト・エネン『ヨーロッパの中世都市』(佐々木克巳訳)岩波書店、1987年、(ISBN 4-00-002373-X) 、305頁。
写真提供者:
Xiyang Xing - CC BY 2.0
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