مسجد ابن طولون

( イブン・トゥールーン・モスク )

イブン・トゥールーン・モスク(アラビア語:مسجد أحمد بن طولون)は、エジプトの首都であるカイロにあるモスク。トゥールーン朝の創始者であるアフマド・イブン・トゥールーンによって建設され、879年に完成した。

背景

イブン・トゥールーンは868年にアッバース朝の総督としてエジプトに派遣された[1]。トルコ人傭兵部隊を率いてエジプトに入った彼はその同年にアッバース朝からの独立を宣言し、トゥールーン朝が成立した[1]。

当時のエジプトの中心はアラブの征服の際に建設された軍営都市であるフスタートであった[2][3]。しかし、イブン・トゥールーンは首都としてフスタートの北東に新たにカターイーを建設した[1]。彼はそこに宮殿や馬場などの施設を築き、カターイーはトゥールーン朝の行政の中心となった[4][注釈 1]。

建設

フスタートにあったエジプト最初のモスクであるアムル・モスクは人口の増加に従って手狭になっていった[6]。そこでイブン・トゥールーンは新たに巨大なモスクを建設することを決めた[7]。モスクの建設は876年に始まり、879年に完成した[4]。

ファーティマ朝時代の修繕

ファーティマ朝の時代にはイブン・トゥールーン・モスクは、ファーティマ朝のカリフが金曜礼拝を執り行っていた4つのモスクのうちの1つだった[8][注釈 2]。

13世紀にはイブン・トゥールーン・モスクは北アフリカからマッカへ向かう巡礼者たちのキャラバンサライとして用いられた[8]。14世紀には主礼拝室の角に2つのミナレットが設けらたが、そのうち1つはやがて取り除かれた[8]。19世紀にはモスクは工場として用いられ、後には精神病院として用いられた[8]。

^ a b c Behrens-Abouseif 1992, p. 5. ^ Behrens-Abouseif 1992, p. 3. ^ 羽田 2016, p. 87. ^ a b 羽田 2016, p. 88. ^ Krol 2016, p. 124. ^ Behrens-Abouseif 1992, p. 51. ^ Behrens-Abouseif 1992, p. 51, 52. ^ a b c d e Behrens-Abouseif 1992, p. 55.


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