Algarve

( アルガルヴェ )

アルガルヴェAlgarve [alˈɡaɾvɨ] ( 音声ファイル))は、ポルトガル本土の最南端の地方。中心都市は、国際空港を擁するファロである。アルガルベとも表記する。

紀元前6世紀にコンイ族が定住した。彼らは南下してきたケルト人に強く影響を受けた。フェニキア人が紀元前1世紀頃、海岸沿いに商業港をつくった。カルタゴ人はポルトゥス・ハニバリスの都市を建設した(現在のポルトイメオン)。2世紀になるとローマ帝国がイベリア半島を南下して支配下においたため、ローマ遺跡がラゴスなどに多く残っている。

5世紀、西ゴート人が711年にムーア人の侵略が始まるまでに定住。ムーア人は716年にラゴスを占領し「ザワイア」と改名した。キリスト教徒が住むサンタ・マリアの町は「騎士たちの基地」という意味のファラオンに改名した。これが現在のファロである。

イスラム支配下のイベリア「アル・アンダルス」では、この地域を「西アンダルス」(アラビア語: غرب الأندلس‎ Al-Garb Al-Andalus アル・ガルブ アル・アンダルス)と呼んだ。アル・ガルブは「西」を意味する。アル・アンダルスとはイベリア半島全体を指す言葉として知られるが、これはかつて半島南部を支配したヴァンダル族のことを指す(アラビア語ではVにあたる子音がないため、Vを抜いて「アンダル」となる)。

12世紀半ば、ムーア人の支配が終焉を迎えた。アル・ガルブはアルガルヴェ王国と名を変えた。13世紀にポルトガル人がレコンキスタを完了して現在のポルトガルの国土が確定した。ジョアン1世から「ポルトガル及びアルガルヴェの王」と名乗るようになった。1471年以後、北アフリカ領土を征服するにつれ、アルガルヴェの地名はアフリカ領土を擁する意味も帯び、1910年の共和国成立までこの称号が保持された。

15世紀、エンリケ航海王子はサグレスに自身の活動拠点を置き、植民地からの富を利用して多くの大航海時代の偉業を成し遂げた。

1595年から1808年まで、アルガルヴェは半自治地域であり知事が統治していた。税金体系も分離されていた。これは、ポルトガル王が「ポルトガルとアルガルヴェの王」と名乗っていたのでわかるように、2つを別々の王国としていたために生じた(同君連合)。

1807年、ジャン・アンドシュ・ジュノーに率いられた第1回ナポレオン軍侵攻により、ポルトガル北部が占領され、アルガルヴェはマヌエル・デ・ゴドイ指揮下のスペイン軍に占領された。1808年に起きたオルハオンの蜂起で、スペイン支配に抵抗して解放された最初の地方がアルガルヴェであった。

1815年から1825年まで、「ポルトガル・ブラジル及びアルガルヴェ連合王国」として同君連合下にあったが、1825年にブラジル帝国が離脱した。

写真提供者:
Steven Fruitsmaak - CC BY-SA 3.0
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